本当ですか? 第六話

 昔、むかし、ゴルフに狂った男がおりました。

 

 彼がゴルフを始めたのは30才直前と遅く、初めて米国に転勤した

ときです。現地会社の社長がゴルフ好きで、ゴルフを奨励していました。

 

 軟式野球や卓球をやっていたから、地面に止まっているボールを

打つのは雑作もないことと舐めて掛かったら、とんでもない、ボールの

頭をかすめてゴロになるか、調整して、少し後ろに打ち込むと、手前の

地面を叩いてからボールにあたり、やはり、ゴロにしかならず、なかなか

空に向かっては飛んでくれません。

 

 然し、上司や先輩に上手な男が多く、見よう見まねで何とかコースに

出られるようになります。

 

 何故、みんな上達が早いのか。理由はありました。米国駐在では他に

エネルギーを使うことが少ない。日本だと夜の付き合いが多い。職場と

住宅が離れており、週末は疲れを癒すのが精いっぱい。練習場は少なく、

費用が高い。 パブリックコースが少なく、コースでプレーするには

メンバーコースの高額な会員権を持たなければならない。

 

 それに対し、米国では練習場が多く、貸ボールの値段が安い。パブリック

コースが多く、プレー代が安い。住んでいる地域からコースまでの距離が近い。

交通費も日本だと電車かハイヤーだが、米国ではマイカーの乗り合いと

はるかに恵まれている。

 

 ゴルフは先ず1打目で狙った方向にナイスショットをしなければいけない。

うまく打てた時の快感は大変なもので、だから、練習場に行くのも楽しい。

 

 しかし、ある程度慣れたころ、先輩から「お前はゴルフに向いてない」と

云われてしまいます。ところが、彼も自分の筋肉が異常に堅いことを知って

いたので、「そうでしょうね」と素直に認めます。彼は高校生くらいになった

ころ、正座がし難くなりました。野球でも卓球でも自分が思った通りに身体が

動かないことも何となく気が付いていました。にも拘わらず、彼はゴルフに

のめり込みます。

 

 ゴルフは雪が降ると出来ません。ボールをマジックで色を塗ってプレーした

という話はありましたが、途中で止めないで、最後までプレーするための

思い付きだったのでしょう。でも、雪に埋まってはロストボールになるから、

やれる筈がありません。そこで、12月から3月の間はゴルフは出来ません。

 

 余談になりますが、冬場はボーリングに変わります。彼はボーリングにも

夢中になり、大会で優勝したり、6連続ストライクを出したり、ハイスコアも

210くらいが数回出ました。 賭けてやっていて、相手が負けを認めず、

徹夜になったこともあったほどです。

 

 社内のゴルフ熱を示す話が二つありました。一つは、ニューヨークで

1ラウンド18ホールで2回ホールインワンを出した先輩社員がおり、

ニューヨークタイムズで紹介されたそうです。もう一つは、東京本社の

専務で名門「霞が関」のメンバーの方が77才で「エイジシューター」

つまり、18ホールを77でまわったという話がありました。

 

 彼は、ゴルフに向いていないことは理解していましたが、ニューヨーク

というゴルフのプレーに最適の地に、延べ10年も住んだお蔭で、スコア

だけは、80前後が出るようになります。

 

 彼は、仕事を辞めてゴルフに専念出来たら良いなあ、と夢みたいことを

考えていました。何と、それが、実現出来てしまいました。会社を辞めて

朝は1時間ほど原っぱでアプローチの練習、散歩、その後、温泉で体をほぐし、

ドライビングレンジに行って打ちっぱなし。週に2回はコースに出ました。

住んだところが伊豆函南だから、沼津、御殿場、伊豆半島とまわりには

ゴルフコースだらけ。自分のコース、知人のコースと、二日連ちゃんもあり。

 

 ホールインワン、アルバトロス、エイジ・シューティングなど夢だけは

大きく6年間くらい、ゴルフ三昧の生活。 然し、やはり、無理がたたり、

スコアは下り坂。 そして、燃え尽きた。

 

 

 

うそー! まさか! 第五話

 昔、むかし、ニューヨークのマンハッタンのど真ん中、ミッドタウン

での出来事です。道幅が広かったから57St.だったと思います。

 30台の日本人の男3人が日本食レストランで食事を終えて、次は

日本人バーに繰り出そうとしていました。

 タクシーを捕まえるために車道に向かって、舗道の端に3人別々に

離れて立ち、通りかかるタクシーに「タクシー!」と叫んでいました。

 一番右端に居た男のところに、背の低い醜い顔の老婆が近づき、

「可愛い子がいるよ。案内するよ」と声を掛けてきます。これから

バーに行くところだから、「要らないよ」と断ります。ところが、

婆さんはしつこく食い下がり、ついには彼に抱き付いてきます。

彼が軽く突き放すと、諦めて離れて行きます。

 タクシーが中々捕まらず、もたもたしていたら、彼女がまた

寄ってきます。そして、再び、うるさくまとわりつき、抱き付いて

離れたとき、一番左に立っていた男が、「財布を取られたぞー!」

と叫んでいます。

 慌ててて、上着の内ポケットを探ると、右も、左も、空です。

 ようやく、スリだと気付き、「財布を返せー!」と叫びながら

婆さんを追います。すると、婆さんは「No! No!」と叫びながら

右のほうに逃げます。追いつきそうになった辺りで、若い男が運転する

小型のピックアップ・トラックが寄ってきて、婆さんはそれに跳び

乗って逃げてしまいます。

 バーに着くや否や、クレジットカード会社に電話してカードの盗難を

届けますが、スリに気づいたのがお客だったので、間抜けぶりが恥かしく

お酒の味も分からず、話も弾まず、唯一幸運だったのは、掏られたのは

クレジットカードや名刺が主で、現金は他のポケットに裸で入れてあって、

無事だったことです。

 つまり、スリは1回目で掏った財布に現金が入っていないので、再度

もう片方の内ポケットを掏ったのですが、無駄骨を折ったわけです。

 用心をしておいて良かったという「オチの無い」落語の小噺みたいな

話でした。

  

うそー! 本当? 第四話

 かつて、ある男がおりました。 彼は総合商社の営業担当で 

 ニューヨークに駐在中のことです。 日本から輸入している主力

商品の競争相手がスカンジナビア半島におり、毎月輸入通関統計で

数量・金額を見ていました。 すると、そこに関税率が表示されている

のですが、日本品は10%くらいなのに、競争相手の国からの税率は

2%くらいなのです。 もともとは日本品もその低率関税だったのですが、

米国の国内メーカーからの圧力で高率関税に変更されたのです。

 国内メーカーの言い分は正しかったので、反論の余地は無く、黙って

従ったわけです。 ところが、上記の通り、ヨーロッパの競争相手の

税率は変更を免れていたことになります。 そこで、運輸部と社内

弁護士を使って、取り敢えずニューヨーク税関にクレームの申し立てを

しました。

 ところが、毎月の通関統計で見る限り、米国税関がアクションを

起した形跡が見えず、引き続き、運輸部にニューヨーク税関に抗議

させましたが、らちが明かず、彼を入れてのランチョン・ミーティングを

設定してもらいました。 すると、税関担当者が彼は何も出来ないが、

この様な場合はワシントンの財務省に直接かけあえば、何とかするだろうと

教えてくれました。

 早速、ワシントンの担当官に手紙で事情を説明し、面会のアポイントを

取り付けました。 相手の事務室で協議を始めると、相手は「何故、

弁護士を同伴してこないのか」と訊くので、一寸怯みましたが、素知らぬ

顔で「こんな簡単なことに弁護士が必要か。 こちらの希望は単にアンフェア

な状況を解消して貰いたいだけだ。 それに、競争相手の税率を正しい税率に

改訂すれば、米国の国益に寄与するではないか。と主張したら、即座に

「分かった。善処する。」とのことなので、文書で回答を貰いたいと云ったら、

それは出来ないと断られました。

 然し、輸入通関統計をチェックしていたら、競争相手のほうの税率が

高率関税になりました。

 彼の話では、流石アメリカだと感心はしながらも、若造の自分が良くぞ

やれたものだと、冷や汗ものだったそうです。

 

うそー! 本当? 第三話

 昔、ある男がおりました。

 実家は関西の神主さんの家柄。 お兄さんが後を継いでいました。

 彼は、W大商学部卒、某関西系総合商社に勤務していました。

若い時から白髪まじりの神主さんらしい風貌の男でした。

然るに、彼の勤める会社は長年の業績不振で、折角築き上げた

商圏の維持が難しい状況となります。

 綜合商社というのは、長良川の鵜飼いの鵜みたいなもので

銀行・損保が背後についていて、いくらでも現金を廻してくれて

利息を巻き上げられる存在です。

 証券取引における信用取引みたいな側面もあります。

 従い、業績不振になると(保有株が値下がりするのと同じ)、

利息の支払いが困難になり、さらに、融資を受けて債務が膨らみ、

不良債権化していきます。

 彼の勤める会社Gの最大の株主であるT銀行は、もう一社の融資先

である総合商社のKに吸収合併させて、融資の保全を計ります。

Kは時代の先行きを読んで、機械・電子部門を強化し、健全財政の

優良企業です。

 当然、G社は人員削減、固定資産の流動化などの合理化を進め、

K社との合併に備えます。

 そして、彼は合併後の新会社に移籍します。仕事が出来るかどうか

問われる年代は過ぎており、即戦力として、ニューヨーク駐在、

ドイツ駐在など海外勤務のあと、帰国後は部長に納まります。

 個人的には、兄が他界、関西の実家を処分し、会社が募集中の

鎌倉の宅地開発物件を購入、豪邸を新築します。 そして、晩婚

だったために子供たちが幼いので、彼等の将来のために3億円の

生命保険に加入します。

 然し、重役への昇進とはいかず、関連会社の総務部長に再就職

させられます。出向だと本社にポストが空くと呼び戻されることも

ありますが、彼の場合は完全に見捨てられたのです。従い、同社の

定年である60才でお払い箱となります。 然し、彼は悠揚迫らず

前から行きたかった中国観光に出掛けます。

 ところが、今時珍しい奇病とも云えるし、中国ならではの風土病

とも云える破傷風という病気にかかります。 発見が早く、すぐに

入院治療しないと命に関わる病気です。

 彼は運悪く手遅れになり3~4日で命を落とします。

 ああ、やんぬるかな! 彼は幸せだったのかどうか?

 

うそー!本当?第二話

 今回は英語で、ワンスアポナタイム(Once upon a time)、

12才年上の大人の女性と幼い男の子がおりました。

 

 太平洋戦争終戦の1年前、9才の男の子が東京から縁故疎開で千葉県の

親戚に預けられ、そこの国民学校(今の小学校)に通うことになります。

担任の先生は東京から代理教師として来ていた21才の女性でした。

男の子は算数が苦手で、先生は放課後、特別に指導してくれました。

また、東京から疎開してきて編入された生徒たちは、地元の生徒たちから

いじめを受けていました。主人公の男の子は弱虫で登校拒否になりました。

親戚のおばさんが学校に同行し、担任の先生に泣きつきました。

先生は地元の生徒を叱るとともに、「成績優等賞」の賞状を発行するように

計らいました。その結果、地元の生徒は級長の男の子一人、東京からの

疎開組はほぼ全員が優等賞をもらいました。 すると、地元の生徒たちの

態度が大人しくなり、いじめも無くなりました。

 男の子のおばさんは感謝のしるしにお米や小豆を先生の下宿に届けました。

そして、約1年後の夏に戦争は終わり、男の子はお父さんが迎えに来て

東京にもどりました。

 そして、毎年、年賀状を先生に送り続けました。もちろん、高校、大学と

進学状況は報告していました。

 

 大学3年になったとき、先生から東京に帰って初めて「逢いましょう」と

誘われます。 待ち合わせ場所は東京駅八重洲口の「銀の鈴」です。

銀座から日本橋でロードショー映画を観て、和風食事処で軽食して別れます。

 この時彼女は35才、中堅企業社長の長女でお婿さんを迎え、小学生の

女の子と男の子の母親でした。 彼は大学3年、23才でした。

 彼は家が貧しく、バイトに忙しく、ガールフレンドもいませんでした。

4年生の秋になり、彼女は彼を気の利いた和風旅館に連れて行きます。

部屋風呂に入った後、畳部屋の布団に横になり抱き合います。

彼が初めてでうまく出来ないのを知って、丁寧に手を貸して果たさせて

くれます。彼が謝ると、「あなたが良ければ、それでいいのよ」と笑う。

 

 一度だけの出来事で、かえって、良い思い出になったようです。

 

 

 

うそー、本当?という話はいかが 第一話

 昔、むかし、ある男がおりました。

 彼は体格も良く、顔つきも歌舞伎役者でも勤まりそうな

ごつい男前、声も凛と響く美声の持ち主でした。

 頭脳も優秀で将来は宇宙飛行士になる夢を持っていました。

大学は防衛大学航空学科に合格しました。

 ところが、全寮制で毎日軍隊の様な生活を強いられます。

厳しい教練を2年間は我慢しますが、遂に中退を決意します。

 そして、彼はドイツ語を習得して、将来ドイツで暮らすことに

人生設計を変更しました。

 ここでも彼はいとも簡単に国立の外国語大学のドイツ語科に

合格します。 そして、一年からやりなおし、4年後卒業、合計

6年かけて学業を終了します。

 就職はドイツ駐在が可能な総合商社を受験、勿論採用されます。

仕事は機械部で海外からの輸入、日本からの輸出と十分経験します。

 さて、結婚ですが、これも、信じられないことですが、相手が

高校生の間に婚約していて、彼女が卒業と同時に挙式と素早く

済ませ、即座に1男1女と子供を作るのも抜かりはありません。

 海外駐在は、先ずはニューヨーク、一旦帰国後、念願のドイツ

駐在です。然し、帰国後は営業から外れます。

 商社の営業は若いうちが勝負で、社内で部長、取締役と

のしあがるのは、ほんの一握りで、部長から関連会社に出向、

そこで定年を迎えてお払い箱ということになります。

 ところが、ここでも、彼は部長になるまで待たずに、偶々

会社が繰り上げ退職に対して退職金を上積みすると発表するや

いなや、会社を辞めてドイツの小さなホテルを買い取り、そこの

オーナーに収まってしまいました。 駐在中に前のオーナーと

話が持ち上がり、タイミングを計っていたのです。

 その後、どうなったかは知りません。 ドイツでメッチェンと

仲良くなって目の青い子供でも作っているのではないでしょうか。

 

「花より団子」

春ですね。 お花見の宴が真っ盛り。 

ふと、「花より団子」という諺が気になって

老妻に意味を聞いたら、大昔の「別冊太陽」を

探し出してきてくれました。

雑誌でありながら、分厚い「いろはカルタ」特集でした。

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いろはカルタとの関係は知りませんが、

いろは歌」という和歌もありますね。

弘法大師さまの作だそうです。

    色は匂えど散りぬるを  いろはにほえとちりぬるを

    我が世誰ぞ常ならむ   わかよたれそつねならむ

    有為の奥山今日越えて  ういのおくやまけふこえて

    浅き夢みじ酔ひもせず  あさきゆめみしゑひもせす

 

いろはカルタに使われた諺を使うこともあるかと、

書きとってファイルしましたので、参考までに

投稿します。 意味が分からないものもありますね。

そのときはネットに解説がありますからどうぞ。

 

犬も歩けば棒に当たる

一寸先は闇

論より証拠

論語読みの論語知らず

花より団子

針の穴から天を覗く

憎まれっ子世に憚る

二階から目薬

骨折り損のくたびれ儲け

仏の顔も三度

屁を放って尻すぼめる

下手の横好き

下手の考え休むに似たり

下手の長談義

年寄りの冷や水

豆腐に鎹(かすがい)

塵も積もれば山となる

地獄の沙汰も金次第

地獄の釜の蓋が開く

律義者の子沢山

盗人の昼寝

盗人にも三分の理

糠に釘

類は友を呼ぶ

老いては子に従え

割れ鍋に綴じ蓋

笑う門には福来る

蛙の面に水

蛙の面に小便

夜目遠目笠の内

夜目遠目傘の内

旅は道連れ世は情け

立て板に水

良薬は口に苦し

惣領の甚六

袖振り合うも他生の縁

念には念を入れよ

猫に小判 豚に真珠

猫に鰹節

泣きっ面に蜂

楽あれば苦あり

来年の事を言えば鬼が笑う

無理が通れば道理引っ込む

嘘から出た真実(まこと)

氏より育ち

鰯の頭も信心から

喉元過ぎれば熱さを忘れる

鬼に金棒

負うた子に教えられて浅瀬を渡る

臭い物に蓋をする

安物買いの銭失い

闇に鉄砲

負けるは勝つ

蒔かぬ種は生えぬ

芸は身を助く

武士は食わねど高楊枝

亭主の好きな赤烏帽子

頭隠して尻隠さず

足元から雉が立つ

足元から鳥が立つ

聞いて極楽見て地獄

油断大敵

目の上の瘤

目の上のたん瘤

身から出た錆

知らぬが仏

縁は異なもの味なもの

貧乏暇なし

瓢箪から駒

瓢箪から駒が出る

門前の小僧習わぬ経を読む

餅屋は餅屋

背に腹は代えられぬ

雀百まで踊り忘れず