打ち上げ花火大会の二元放送

 昨夜7月29日(土)は地元立川市の「たちかわまつり」の

一環として昭和記念公園で打ち上げ花火が開催された。

ローカルの小規模な大会だから、どこかの屋上に行かないと

見れないと思っていたら、J-COMチャンネル(地デジの11ch)

で中継してくれた。

雨もよいの天気で中止順延かと危ぶまれたが無事実行された。

然し、雨雲で花火の映像が少し鈍かったようだ。

 

 実は、昨夜は同時に、隅田川の花火のテレビ中継が行われる

ことが分かっていたから、録画予約をしておいた(地デジの7ch)。

そして、気になるので、時々、チャンネルを変えて両方の映像を見た。

花火大会の二元放送である。

 

 立川の花火はテレビの画面で花火が上がると、ドドーンという

生の音が聞こえて、ほぼ同時に振動が伝わって来たが、なんか

妙な感じ。

若い女性のアナウンサー2人が浴衣姿で解説しているのが可憐だった。

 

 隅田川の花火の中継はゲストが多く、花火大会の中継なのか、

バラエティー番組なのか分からない。然し、中には凄い花火も

あった。年々カラーが綺麗になっていると、出演者がコメント

していた。確かに、オレンジ色と赤色が多いが、結構、緑色も多く、

赤もルビーのような色が綺麗で、カラフルになったものだ。

流石、隅田川花火という印象が残った。

 

 両方とも録画をしてあるので、これから何度も見れるから、

いろいろと発見があるだろうと楽しみである。

 

 

 

 

 

平均寿命 世界第二位

 今日7月27日の厚労省の発表による平均寿命を見て一言。

 

         男 性    女 性

 

2015年    80.75才    86.99才

 

2016年    80.98 才              87.14才

 

 世界で第一位は意外だが香港だそうです。

 

2016年    81.32                 87.34

 

 ネットで調べたら、過去・未来の平均寿命については、

下記のような数字がありました。

 

1947年    50.06                53.96

(69年前)

2065年           84.95                91.35

(48年後)

 

 寿命が延びると高齢者の比率が40%に達するという

予想があります。

 

 高齢者のみなさん、シルバー世代に代ってプラチナ世代という

呼び方もありますが、健康で元気に老いて、スーパーで食糧・衣料

など日用品の買い物をして、消費で社会に貢献しましょう。

 

 更に、ツイッターとかブログでアイデアとか情報とか意見を

投稿していたら、中には何かひとの役に立つヒントがあるかも

しれませんね。

 

 高齢者のみなさん、庭いじりやお孫さんのお守りばっかりして

ないで、是非、コンピューター関連とか、オーデイオ・ビデオ・

ゲーム関連などの電気製品の購入も増やし、読書や音楽を楽しみ、

電波をドンドン消費して若返ってはどうでしょうか。

 

 

 

 

花火大会

 自宅近くでは、昭和記念公園昭島市営公園で夏の花火大会が

ある。昭和記念公園のは7月29日(土)で、打ち上げ予定5千発、

観客動員数は36万人の予想。昭島市の「くじらまつり」は8月

5~6日。ブラスバンドのパレードも出る。花火は8月5日(火)に

打ち上げ。打ち上げ数は1800発と多くはない。観客数も45,000人位

の予想。

「くじらまつり」の記事をインターネットで探したら、

その中に全国の花火大会の紹介記事が出ていた。

 

 全国的に有名な花火大会は沢山ある。

打ち上げ数、人気、観客数などの順位がでていたが、

人気があっても打ち上げ数が少ないところもあり、

総合的にみて、リストアップしてみた。

 

  多摩川花火大会(神奈川)8月19日(土)6千発(人気1位)

  諏訪湖祭湖上花火大会(長野)8月15日(火)4万発

  銭函サンセットビーチ祭り(北海道)8月5日(火)3万発

  ふくろい遠州花火大会(静岡)8月11日(金)2万5千発

  隅田川花火大会(東京)7月29日(土)2万2千発

        (以下は全国三大花火大会)

  土浦花火大会(茨城)10月7日(予定) 2万発

  長岡まつり花火大会(新潟)8月2~3日(水~木)2万発

  大曲全国花火競技大会(秋田)8月26日(土)1万8千発

 

各地とも何十万の観客が押し寄せるようで、お天気が良いといいですね。

 

 

 

視力と眼鏡

 若い時は視力が強く、大学受験で単語のカードを作る時は

米粒に書くような小さい字を書いていた。

 

 45才位で新聞の字がにじみだした。会議の時、手元の

資料は老眼をかけて読み、ホワイトボードに書いてある文字は、

その老眼を外して見るというのがわずらわしかった。生まれつき

近眼だと、子供の時から眼鏡をかけ、不自由だろうなあと同情

していた。然し、生れつき近眼だと老眼になるのが可成り遅い

らしい。

 

 私の場合は遠視だったが、老眼になるのが早いだけでなく、

度が進むのが速いのが問題だった。勤続25年、50才で会社を

退社した原因でもあった。 

 

 車の運転も軽い老眼鏡をかけるようになり、免許証にも

「要眼鏡」と記載されるようになった。今から30年位前だが、

当時「遠近両用」というレンズが売り出された。

試しにあつらえたが、頭が痛くなるので、使用を諦めた。

 

 更に年をとったら、パソコンを使う時の老眼鏡と本を読む

時の老眼鏡と使い分けるようになった。近年になり、眼鏡屋に

行ったら、「近近」というレンズもあると聞き、作って貰ったら

これは調子が良い。

 

 ところが、最近、うっかりスマホを購入してから、困った。

画面の文字が小さくて、読書用の強い老眼鏡がないと、スマホ

操作ができない。そこで、再度「遠近」レンズをつくることにした。

この場合の「遠」は車の運転用の弱い老眼レンズを中央に、「近」は

読書用の強い老眼レンズを下に入れるのである。

 

 幸い、昔より値段は下がっており、当時の1個分で2個つくれる。

然し、老眼に悩まされ始めたときから、考えていたことがある。

カメラの進化は著しいものがあり、眼鏡にももっと先進の技術が

生かされないものか。CCDという光学用のICをゴーグルの中に

装填し、距離に応じて、度が変化するようなCCDアイが出来ない

ものか、という夢である。

 

 携帯電話も30年前は女性の肩からさげるバッグ位の大きさで、

20万円もしたが、問題は重量であった。確かバッテリーが

重かったのだと記憶する。当時はベンツなどの高級車には

自動車電話が標準装備されていたが、ゴルフとか釣りをしながら、

電話をしようと思えば、携帯が欲しかった。

然し、値段もさることながら、大きさと重さで諦めた。

 

 デスクトップパソコンも膝上にのせられるラップトップが

出始め、いずれは、パソコンと電話が一体になると予想していた。

結局、それがタブレットスマホになって現実のものとなった。

 

 ロボットの目と同じものを、ゴーグルの形で使える時代が

そろそろ来ると思うのだが、どんなものか。

 

 眼鏡業界ではなく、IT企業から発表されるかもしれない。

これは、巨大なマーケットがあるから、開発費をいくら

かけても、儲かると思う。宇宙開発より先にやるべきだろう。

 

特別お題 「『選択』と『年齢』」

 子供の出来ない夫婦に貰われて、育てられたことを、大学入学

手続きのために、取り寄せた戸籍謄本を見て、初めて知って驚いた。

20台は育てられた恩に報いなければいけない、という心情から、

結婚を急ぎ、早く両親に初孫を抱かせてあげたい一心の時代だった。

 

 順序が逆だが、10台は終戦後の貧困の時代で、生きていくのが

精一杯で、考える事はただ一つ、一流大学進学率が高い中学・高校に

合格すること。一流大学を出て高収入を得られる職業につくこと、

それが人生の究極の『選択』だった。

 

 然し、一流大学にはそう簡単に入れない。浪人生活に疲れ、20才で

就職という『選択』も頭をよぎる。ところが、我ながら良く決断したと

おもうが、そこで、一旦、全部放り出し、バイトをしながら、考える

ことにした。ある私大の学食のヘルプをしながら考えた。料理をつくって

他人に食べて貰う毎日だった。夏休みの前にやっと決心した。それは、

他人に食べて貰ってお金を頂くのではなく、他人に作って貰った料理を、

お金を払って食べる側になりたい。それには、矢張り大学進学しかない。

 

 そうは言っても、半年の間、参考書・問題集などに一切手を触れ

なかったので、翌年春の入試に失敗したら、就職しかないと覚悟は

決めた。でも、やったことは、何も特別なことではなく、2年間

勉強したことのおさらいで、唯一変えたのは、第一志望校を諦め、

第二志望校のみに的を絞ったこと。更に、学科も競争率が低い

ところに変えたこと。そして、アッサリ合格。

 

 他人より遅れたが、25才で希望していた職種の中堅企業に就職

出来た。これも、自分だけの力ではなく、大学の恩師の後押しが

あったことを、入社してから会社の人事から指摘された。然し、

後は何事も無く、27才で結婚、29才で長男を授かり、育ての親に

恩返しが出来た。そして、夢だった海外駐在も叶い、大学進学という

『選択』を諦めなくて正解だった。

 

 然し、試練はここから始まった。海外に単身赴任して、そろそろ、

妻子を日本から呼び寄せようかと云う時、義父が長患いの末に世を去り、

会社に駐在期間を短縮して貰って帰国の準備中に、義母が原因不明の

病気で入院。空港から病院に直行して、息のあるうちに対面は出来たが、

翌日、義父の後を追う如く亡くなった。何と、死因は破傷風だった。

 

 この時、30才で義理の両親から東京都心の一軒家を相続。

しばらくは、その古家で辛抱していた。そして、再度、海外駐在が

続き、40台半ばになって、帰国した機会に、ついに建て替えの検討を

開始した。この古家は地盤が緩いこともあり、大きい地震がきたら、

倒壊の怖れがあったので、耐震工法で建て替えしたかった。

然し、一階の半分位は貸店舗で、店子がいたのである。

立ち退交渉を始めたが、これが難航。

 

 ここでしなければならない『選択』が問題だった。

それまでの人生で身についていた知恵で、新築建物の一階に店舗を

用意して、その部分を区分所有、つまりは、店子に分譲することで

決着をみた。

ところが、問題は耐震工法のコストであった。木造の三階建てなら、

それほど大袈裟な基礎工事は必要なかった。然し、三階建てでは、

建築費用がまるまるローン返済で負担になる。

業者と相談して、地下13メートルまで6本のパイルを打ち込んで、

鉄骨コンクリートで5階建てにして、1~2階に賃貸オフィスを

つくって収入源とすることにした。

机上の計算では、その収入でローンの返済は出来る筈だった。

ところが、捕らぬ狸の皮算用で、賃貸収入は予定より大幅ダウンで、

ローンの返済がお荷物になった。

  

 然し、そうこうするうちにバブル経済が到来、地価が大暴騰、

地上げ屋がアプローチしてきた。

ここで、人生最大の『選択』の機会がきたのである。

丁度、会社での立場も愉快なものではなく、勤続25年と中途

半端だが、大決断で退社して、持ち家を換金してローンを返済。

そのあとは、慣れ親しんだ米国に移住して一旗揚げようと考えて

いた。ところが、当時の米国ビザ発給は厳しく、渡米はあっさり

諦めた。

 

 次の『選択』は180度方向転換で、伊豆の温泉別荘地に理想の

住いを建てて、ゴルフ三昧の生活を始めた。50才で現役引退

という『選択』は非常識とも思われようが、自分としては大学

進学に時間をロスしており、その時決めたのは「同年の人よりは

長生きをしてやる」ということだったのだ。それも、「寝たきり」

では駄目なのであり、米国人のように85才になっても、夫婦で

マイカーで旅行するような老後を送ることが目標だった。

 

 80才まではズルズルと惰性で生きていたが、やることが

無くなったら、その反動でそれまでやってないことをやる気に

なり、ツイッターとかブログとかを始めてみたら、人とのつながり

という新しい世界が広がってきた。

 

 パソコンとか、ウオークマン、携帯電話は大分前から使っているが、

それ以上は手を広げるのが億劫で無視して来たスマホを最近手に入れた。

 

 小さな『選択』の積み重ねだが、新しいことを抵抗を感じないで、

『選択』出来るのは、矢張り、若い時から大きな『選択』を繰り返して

きた修練の賜物と自画自賛している。

 

 

 

「タイプライター」という文房具

 現在のデータ入力はキーボードのキーを使って入力したり、

手書き入力とか、音声入力とかあるが、基本はタイプライター

という文書作成の道具である。 ちなみに、IBMという

コンピューター業界の「巨人」も創業者はタイプライターを

売り歩くセールスマンだった。

 昔はタイプライターを操作するのは女性の仕事で、「タイピスト

という職種もあった。 筆者は高校時代に総合商社に高卒で就職

した先輩と会う機会があり、将来は総合商社に就職して、貿易の

仕事をしようと決意を固めていた。

 入学した大学は、当時、東京都北区西ヶ原にあり、自宅は東京

タワーの近くだから、都電という路面電車を乗り継いで通学すると

片道1時間半くらいかかった。朝寝坊には一時限目はしんどい。

だから、必須科目1科目だけにして、他の日は空けておいた。

 大学にはタイプライター室があって、20台くらい置いてあった。

今ならパソコン教室というところ。大学に着くとタイプライター室に

直行。教本を見ながら独習。ところが、専攻の外国語に使われる

特殊な活字がついていない。 仕方が無いから、親にせがんで神田の

専門店に付いて行って貰い、中古品を購入して貰った。

 運の良いことに、映画会社の東映が日本映画を東南アジアに輸出

しており、日本語のシナリオを現地業者が字幕用に翻訳する訳だが、

日本語は読めないから、ローマ字表示にしたものが必要であった。

その仕事にありつき、自宅で完成して納入し、そのバイト代で

タイプライター代金は回収してしまった。

 さらに、専攻外国語の教材となる原書も先生が持っている1冊

だけしかないので、コピーをつくるのだが、業者に頼めば高い。

そこで、筆者が、自宅で、活版印刷用の原紙にタイプして、大学の

印刷設備を使わせて貰って、必要部数の写しを作り、原価でクラス

メートに配布したりした。

 筆者がタイプライターを使いこなそうと考えたのは、総合商社に

進んだら、タイプの技術は必須だと考えたからである。実際、海外

支店とのテレックス交信、見積書、契約書、輸出文書、など、

タイプが打てなければ、入社後タイプを練習をすることになり、

苦労するところだった。 勿論、アシスタントを採用して、楽には

なったが、海外支店に赴任すれば、自分の事務能力が頼りであり、

大学でマスターしておいて良かった。 

 現在80才を過ぎても、パソコン入力に不自由が無い。むしろ、

パソコンを使いこなすことが出来て、毎日退屈することがない。

これからは、タッチ入力や音声入力が発達するだろうが、タイプ

技術の必要性は無くならないと思う。

 

 

2017-7-4 アメリカ独立記念日を祝して

  7月4日は米国の独立記念日である。 

それは良く知っているが、日本にいると忘れがちである。

念の為、ウィキペディアで調べてみた。241年前の

1776年ペンシルベニア州フィラデルフィア

トーマス・ジェファーソンが起草した独立宣言書が

採択された。

 自由の鐘の写真があったので拝借した。

 

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  独立100周年を記念してフランスから「自由の女神像」が

贈られた。女神像はフランスでの募金活動で作られ、台座は

米国で寄付を集めて作られた。エレベーターで10階にあがり、

その先は階段で王冠部にあがれる。完成は1886年である。

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 2001年の同時多発テロ世界貿易センター1号館2号館が

粉塵と消えた。

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 然し、2006年から2014年という長い時間をかけて、

再開発が行われ、独立年にちなんで1776フィート

(541メートル)の「フリーダムタワー」(415メートル

104階が最上階)が完成している。

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 筆者はマンハッタンのダウンタウンにあるウォール

ストリートの近くのオフィスビルに勤務していた時、

スターテンアイランドに住み、フェリーで通勤していた。

毎日のように「自由の女神」を見ていたので、見物に行く

機会が無かった。

 

 世界貿易センターの2号館の48階に勤務していたことも

あるが、テロより大分前にニュージャージー州に自社ビルを

建設して引っ越していて難を逃れた。

 

 日本は太平洋戦争、地震・洪水からの復興で大変だったが、

米国の「独立魂」も褒めたくなる。