家物語

「家」というテーマで面白い話しになるかって? 読んでから教えてください。

家といっても、全て購入または、設計からスタートして新築したものだけですよ。 賃貸したのは含めていません。 引っ越しの件数も普通ではなく、引っ越し業者さんに随分美味しい思いをさせました。 昭和末期のバブルの時期は、小型マンションを買って売るだけでガッポリもうかりました。 ゴルフ会員権も株もそうでした。 ただし、利益のほとんどは税金で消え、ずいぶんと赤字国債の解消に貢献したものです。 なお、購入したのは、すべて、キャッシュでというのが、当時は気が付かなかったが、大変なことをやっていたと、今頃、ぞっとしています。

 

生れて初めて家を建てたのは、東伊豆の高台に造成された、温泉付き別荘地です。 

土地は山のてっぺんで伊豆七島が水平線に浮かぶ凄い眺めの所でした。 東京の港区の

高速道路のそばに長く住み、そんな土地に家を持つのが夢でした。 ところが、人生は一寸先は分からない。 小さいながら、家が完成前にアメリカに単身赴任となり、留守中に地震で使い物にならなくなりました。 完成した時、親戚の人間に一晩泊まってもらいましたが、我が家の人間は誰も一泊も出来なかったんです。 15年ローンで支払いは何となく、無事完済しました。 しかも、運が良いことに、隣家が工務店で元値で引取ってもらい、損も少なくて済みました。 家を建てるという悦びを味わっただけは消えない財産です。

 

単身赴任から帰って、いよいよ、港区の麻布十番ちかくの古い家の建て替えにかかりました。 地盤が軟弱で、基礎工事が大変でした。 地震が怖いので、鉄骨ヘーベル住宅にしました。 しかし、この建て替えは失敗で、ローンが家計を圧迫しました。 しかし、幸いにも、今度は家族帯同でアメリカに駐在となり、賃貸部分の管理を親戚に頼み、賃貸料でローンの支払いは出来ました。 海外駐在は現地手当が支給されるので、生活は問題なく、長期駐在を終えて帰国となります。 その間に、バブルで地価が高騰し、再開発業者が助けに来てくれました。 帰国と同時に建物を売却、借金は帳消し、

新たに好きなところに、好きな家を建てることが可能となりました。

 

またも、伊豆の温泉別荘地です。 湯河原、熱海、と探し、丹那盆地に近く、伊豆スカイラインの麓に好き勝手に建てて、毎日朝晩温泉に入り、朝はウオーキング。 ゴルフの練習場も近く、毎日打ち込んでいました。 勿論コースにも年間70回くらいは出ていました。

 

しかし、さすがに6年過ぎて、飽きがきてしまい、多摩地区で建売の新築物件を購入、

そこも、都合で転売、再び、建売新築物件を購入し、ようやく終の棲家に落ち着きました。

 

自分は、建てるよろこびと住むよろこびにひたり、こんな面白いことが出来て良かったと思っているのですが、他人が聞いても全然面白くはなかったんではありませんか?