ゴルフボールへの思い(5)

                 (十番ホール)

 8年という長いニューヨーク駐在を終えて帰国。 徹マン、徹夜ボーリング、夜遊び、などなど、身体に悪いことをやって四十肩になり、幸い治って帰れて良かった。

しかし、老眼になって、商社の営業マンは難しく、思い切って退社。 受験、受験の25年、次の25年のうち10年がニューヨーク駐在、その後の人生を考えて、温泉別荘地に家を建てて、ウオーキング、ゴルフ、朝に晩に、サウナと温泉入浴という、リハビリ生活に入った。 沼津GC, 南箱根GCなどの会員になり、別荘地の中にゴルフ同好会をつくり、週に2回はコースに出るという、ゴルフ狂のゴルフ漬人生を始めた。

別荘地は1000区画のうち200区画位に家屋があり、そのうち100戸くらいが定住だったが、当然、住民の平均年齢は65才くらいだった。 だから、50台の私はゴルフ同好会の常任幹事で、コースの予約、組み合わせ、ハンデの決定、賞品の手配、プリントの配布、会費の徴収・管理、すべて進んでやらせて頂いた。 平日ゴルフは楽しいです。 みんな仕事をしているのに、こんなにしあわせで良いのかと運命に感謝。

               (十一番ホール)

 太平洋マスターズも2年連続で御殿場に見物に行った。 ジャンボ尾崎の雄姿を見るために。 左ドッグのミドルホールで左側の林越え、ワンオン~イーグルが見たかったが駄目だった。 別荘地の知人が会員だった、ほかの御殿場のゴルフ場に連れて行って貰った。 突然、空が暗くなって雷が鳴りだし、プレー中断、コースアウトの放送があり、クラブハウスに戻る途中、持っていた傘の柄に被雷し、手にビリビリっと来て、傘を放り出した。 休憩後プレー続行出来たが。

               (十二番ホール)

 無職でも良かったが、まだ若いし、やるならゴルフに関係した仕事をしたいと思っていた。 ドライビング・レンジを作るか、買い取って経営したいと考えたが、資金が相当かかるだろうし、簡単にはいかない。 レッスンプロも力不足。 そこで、コースで働くことを考えていたら、支配人の口が2件もきたが、これも失敗。 あっという間に6年が過ぎ、さすがに別荘地暮らしに飽きが来た。 そして、ついに<ギブアップ>したのである。

                                    (完)