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コロラドの記憶

48才のとき、たった半年間、米国コロラド州デンバー市に

滞在した。目的はワンマン・オフィスに駐在、新規取引の開拓

だった。

 

自然の面ではロッキー山脈の麓という極めて珍しい環境だった。

デンバー市は「Mile High City」という愛称があり、

標高1600メートルなので、空気が少し薄い。 

ゴルフボールの飛距離がアップすると云われている。

 

滞在した時期は日本がバブルで大騒ぎしていたころの9月から3月、

つまり、秋から冬だが、乾燥していたせいか、シカゴ・ニューヨーク

の冬みたいに腰の高さまでなどという積雪は無かった。

 

歴史的には西部開拓時代交易所で賑わったり、ゴールド・ラッシュで

沸いた土地であるが、主な産業は農業である。

第二次世界大戦で西海岸に居た日系人が収容所に入れられ、戦後開放

されたが、財産は没収されされており、当地の農場に移ってきて

成功して農場を持つに至った方々も多い。

日本レストランや寿司店も数軒あった。鉄板焼きの「べにはな」も

あった。 日本人相手のストアーが集まった「さくらマート」なる

ショッピングモールもあった。

 

現代のデンバー市はNASAの打ち上げるロケットのブースターを製造

する工場があるほか、IT関連の開発が盛んである。

 

陸軍のキャンプがあったが閉鎖され、地域経済に影を落とした。

 

少し北にはコロラド大学のキャンパスがある。

 

南のコロラドスプリングスには空軍士官学校があった。

 

デンバーの町は環状道路で囲まれており、南北と東に主要道路が

延びており、出入りに便利である。

全米規模の催し物が出来るホテルとイベント会場があり、

駐在中にコンピューター・ショーが開催された。

 

コロラドスプリングスはスキーのメッカであり、

ロッキー山脈の山間部に「Garden of Gods]という美しそうな

ところがあったが行けなかった。

 

プライベートな面では、会社の事務所を借りていた

マンションに自分の住まいを借りたので、このうえなく

便利であった。

洗濯も最上階に立派なランドリーがあり、プールまであった。

ほとんど毎晩外食だったが、韓国バー・レストランが何軒もあり

食事、飲酒に女性が同席してサービスしたり、ダンスの相手も

してくれて、夜が楽しみだった。

 

毎月ヒューストン支店のゴルフの月例会に出たり、サンフランシスコ

支店にも打ち合わせにでかけ、ラスベガスのコンピューターショーに

顔を出したり、帰国のときはニューヨーク本社に立ち寄るなど、

短期間の割には刺激のある期間だった。