特別お題 「『選択』と『年齢』」

 子供の出来ない夫婦に貰われて、育てられたことを、大学入学

手続きのために、取り寄せた戸籍謄本を見て、初めて知って驚いた。

20台は育てられた恩に報いなければいけない、という心情から、

結婚を急ぎ、早く両親に初孫を抱かせてあげたい一心の時代だった。

 

 順序が逆だが、10台は終戦後の貧困の時代で、生きていくのが

精一杯で、考える事はただ一つ、一流大学進学率が高い中学・高校に

合格すること。一流大学を出て高収入を得られる職業につくこと、

それが人生の究極の『選択』だった。

 

 然し、一流大学にはそう簡単に入れない。浪人生活に疲れ、20才で

就職という『選択』も頭をよぎる。ところが、我ながら良く決断したと

おもうが、そこで、一旦、全部放り出し、バイトをしながら、考える

ことにした。ある私大の学食のヘルプをしながら考えた。料理をつくって

他人に食べて貰う毎日だった。夏休みの前にやっと決心した。それは、

他人に食べて貰ってお金を頂くのではなく、他人に作って貰った料理を、

お金を払って食べる側になりたい。それには、矢張り大学進学しかない。

 

 そうは言っても、半年の間、参考書・問題集などに一切手を触れ

なかったので、翌年春の入試に失敗したら、就職しかないと覚悟は

決めた。でも、やったことは、何も特別なことではなく、2年間

勉強したことのおさらいで、唯一変えたのは、第一志望校を諦め、

第二志望校のみに的を絞ったこと。更に、学科も競争率が低い

ところに変えたこと。そして、アッサリ合格。

 

 他人より遅れたが、25才で希望していた職種の中堅企業に就職

出来た。これも、自分だけの力ではなく、大学の恩師の後押しが

あったことを、入社してから会社の人事から指摘された。然し、

後は何事も無く、27才で結婚、29才で長男を授かり、育ての親に

恩返しが出来た。そして、夢だった海外駐在も叶い、大学進学という

『選択』を諦めなくて正解だった。

 

 然し、試練はここから始まった。海外に単身赴任して、そろそろ、

妻子を日本から呼び寄せようかと云う時、義父が長患いの末に世を去り、

会社に駐在期間を短縮して貰って帰国の準備中に、義母が原因不明の

病気で入院。空港から病院に直行して、息のあるうちに対面は出来たが、

翌日、義父の後を追う如く亡くなった。何と、死因は破傷風だった。

 

 この時、30才で義理の両親から東京都心の一軒家を相続。

しばらくは、その古家で辛抱していた。そして、再度、海外駐在が

続き、40台半ばになって、帰国した機会に、ついに建て替えの検討を

開始した。この古家は地盤が緩いこともあり、大きい地震がきたら、

倒壊の怖れがあったので、耐震工法で建て替えしたかった。

然し、一階の半分位は貸店舗で、店子がいたのである。

立ち退交渉を始めたが、これが難航。

 

 ここでしなければならない『選択』が問題だった。

それまでの人生で身についていた知恵で、新築建物の一階に店舗を

用意して、その部分を区分所有、つまりは、店子に分譲することで

決着をみた。

ところが、問題は耐震工法のコストであった。木造の三階建てなら、

それほど大袈裟な基礎工事は必要なかった。然し、三階建てでは、

建築費用がまるまるローン返済で負担になる。

業者と相談して、地下13メートルまで6本のパイルを打ち込んで、

鉄骨コンクリートで5階建てにして、1~2階に賃貸オフィスを

つくって収入源とすることにした。

机上の計算では、その収入でローンの返済は出来る筈だった。

ところが、捕らぬ狸の皮算用で、賃貸収入は予定より大幅ダウンで、

ローンの返済がお荷物になった。

  

 然し、そうこうするうちにバブル経済が到来、地価が大暴騰、

地上げ屋がアプローチしてきた。

ここで、人生最大の『選択』の機会がきたのである。

丁度、会社での立場も愉快なものではなく、勤続25年と中途

半端だが、大決断で退社して、持ち家を換金してローンを返済。

そのあとは、慣れ親しんだ米国に移住して一旗揚げようと考えて

いた。ところが、当時の米国ビザ発給は厳しく、渡米はあっさり

諦めた。

 

 次の『選択』は180度方向転換で、伊豆の温泉別荘地に理想の

住いを建てて、ゴルフ三昧の生活を始めた。50才で現役引退

という『選択』は非常識とも思われようが、自分としては大学

進学に時間をロスしており、その時決めたのは「同年の人よりは

長生きをしてやる」ということだったのだ。それも、「寝たきり」

では駄目なのであり、米国人のように85才になっても、夫婦で

マイカーで旅行するような老後を送ることが目標だった。

 

 80才まではズルズルと惰性で生きていたが、やることが

無くなったら、その反動でそれまでやってないことをやる気に

なり、ツイッターとかブログとかを始めてみたら、人とのつながり

という新しい世界が広がってきた。

 

 パソコンとか、ウオークマン、携帯電話は大分前から使っているが、

それ以上は手を広げるのが億劫で無視して来たスマホを最近手に入れた。

 

 小さな『選択』の積み重ねだが、新しいことを抵抗を感じないで、

『選択』出来るのは、矢張り、若い時から大きな『選択』を繰り返して

きた修練の賜物と自画自賛している。