さらばロッキー山脈のやまなみ Part II

彼女は25才、面長、中肉中背、ほっそりしていて、美人では

ないが、私好みだった。 夫とは彼が韓国駐留時に知り合い、

アメリカについて来たとのこと。 細かい話しはしなかったが、

結婚して永住権は取れたのだろう。

 

私が商社マンで家族を日本に置いて単身赴任だと説明したから、

良い話し相手になってくれた。

 

水割りを作ってくれたり、踊ってくれたり、親しくはなったが

夫がいると分かっているから、口説くわけにもいかず、おとなしく

帰宅していた。

 

この韓国Bar & Restaurantは親夫婦と若い子供夫婦が経営しており、

料理は韓国風というより家庭料理的ですっかり気に入ってしまい、

頻繁に夕食を食べに行くようになった。

 

お客は地元のアメリカ人たちで、彼等はほとんど自分達だけで

テーブルを囲んで飲んだり食べたり、たまに店の女の子と踊っていた。

しかし、店の女の子は本来メイドが主な役割であり、彼等のテーブルに

長く座っていることは無かった。

 

ところが、問題の彼女は私が行くと、私のテーブルに付きっぱなしで、

他のテーブルに顔を出しても、必ず私のテーブルに戻って来るのである。

彼女にもグラスを持って来させて、一緒に飲んでいるわけだが、ほかの

テーブルに行くときは、日本のクラブと同じでグラスにコースターを

かぶせていき、毎回私のテーブルに帰って来るが、ほかの客から苦情が

くるわけでもなく、私が彼女を独占した形であった。 後で分かって

きたが、これは私がビルに書き足すチップとは別に彼女に現金で

チップをこっそり渡していたのが原因であった。

 

可成り親しくなったころ、彼女たち夫婦のアパートの部屋を彼女が

見せてくれた。 オーデイオ一式があり、彼女が自分の稼ぎで夫に

買ってやったものだとのことだった。 どうも、夫は軍からリストラ

されて、DJくらいしか出来ず、大した収入が無いようであった。 

こちらは知り合いがおらず、夫婦二人を日本レストランに招待して

和食をおごったりした。

 

そのうち、彼女から、夫と別居して、彼女だけ別のアパートに引っ越す

という話を聞かされたのである。 (つづく)

 

 

さらばロッキー山脈のやまなみ Part I

2月17日付で「コロラドの記憶」という一文を投稿しました。

今回はその続編のようなものです。

 

半年間という短期間の駐在から日本へ帰る際、引継ぎ者無しで帰国

するため、社用車の引き取り先を探した。 サンフランシスコ支店、

ロスアンジェルス支店、ヒューストン支店と問い合わせたが、

間に合ってると云われ、ニューヨーク本社に相談したら、ようやく

機械部の現地人マネージャーの社用車が古くなっているから送れと

言われたが、ドライブ好きだし、途中の風景を楽しめるので、自分で

転がして行くことにした。

 

たった半年の滞在ながら、それなりの思い出があり、バックミラーに

映るロッキー山脈の山並みを見ていると目頭が熱くなった。

 

最初の休憩をとるために立ち寄ったサービス・エリアから彼女に

電話した。 気丈な彼女の受け答えには「悲しさ」とか「淋しさ」

とかが窺がえる様子は無かった。 逆に、こちらから「Say you miss

me」とねだって、ようやく「I miss you」と言わせた。

 

デンバー事務所、兼、住居は街の中心にある高級マンションビルにあり、

単身赴任用に秋葉原で電気製品を購入して持参したので、最初は自炊

していたが、夜食後、車で出かけ、お酒を飲める店を物色していたら、

Drink & Danceというネオンを見つけて入ってみた。

 

テーブルに案内されて飲んでいるとDJが休憩とみえて、Are you enjoying?

と声をかけてきた。 そこで、Do you have a drink?  と、一杯おごって

話をした。 彼は地元デンバーの軍のキャンプで看護兵をしていたらしい。

話がはずんでいたら、奥さんが韓国Bar & Restaurantでホステスとして

働いているから、贔屓にしてやってくれと頼まれた。 そこで、そのあと、

その店に行って彼女に初めて会った。 (つづく)

 

 

 

英語って何語?

英語を習い始めたのは第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦後、

つまり、1945年(昭和20年)ごろ、中学に入学して

からである。

 

英語で苦労したのはその語彙(ボキャブラリー)の多さである。

理由はヨーロッパ大陸、特にフランス語の流入による言語の

混血の結果と聞いていた。

 

勉学時代から実務時代と英語との付き合いは長かったが、夢は

日本文化(大きく出過ぎたか?)の英語訳である。

 

そこで、一寸、面白いので「素晴らしい」に対する英単語を

カシオ電子辞書で引いてみると、次の通り:

 

splendid, grand, excellent, brilliant, superb, wonderful, terrific,

amazing, fabulous, magnificent, marvelous, super, fantastic,

swell, smashing, stunning, outrageous, cool, great,

 

この後は使用例つき:

glorius(上天気)、phenomenal(米作などが豊作の意味で)、

dazzling(成功の意味で)、spectacular(すばらしい進歩)

 

更に、「素晴らしく」となると:

immensely, considerably, remarkably, exceedingly

 

形容詞は後に来る名詞に対し適切な言葉がある筈であるが、

正確に使い分けるのはネイティブの英米人だって大変だろう。

まして、外国人には無理な話で電子翻訳に頼るしかないかも。

 

ついでだから、何で英語がこれ程煩雑な言語になったのか

WIKIPEDIAで調べてみた結果、大体下記の通り:

 

1世紀からローマ人がブリテン島に駐留してケルト系の

住民(ブリトン人)を支配していた頃にはケルト語と

ラテン語が使われていた。

 

ローマ人が本国に引揚げ、5~6世紀からゲルマン系

(ジュート、アングル、サクソン人)が大陸から渡来して

支配し、ゲルマン系言語が割り込んだ。

 

11世紀になり、フランスから来た貴族階級が使っていた

言語、簡単にいうとフランス語からの借用語が増えた。

 

つまり、英語というのは、ケルト、ラテン、ゲルマン、

フランス語などの混血から、多くの表現が混在する

結果になったということである。

 

日本語も中国大陸や欧州からの流入語が混じって

語数が多く、外人さんは苦労しているが、それを

考えると、日本人はもっと英語での発信を増やして

行くべきなんだろうなと考えている。

 

 

 

 

 

伊勢物語~在原業平

2017-01-09に「都鳥とユリカモメ」という短文を載せました。

 

きっかけは新海誠さんの「君の名は」という小説でした。

「君の名は」の着想の原点が「小野小町」の和歌にあると知り、

調べたら「小野小町」は「在原業平」と親しく和歌のやりとりを

していることが分かりました。 すると、今度は「在原業平

のことを知りたくなり、調べていると、どうやら「伊勢物語」の

主人公が「在原業平」らしいではありませんか。

 

源氏物語」は知っていますが、「伊勢物語」「在原業平」は

全く知らないので、図書館で探したら俵万智さんの「恋する

伊勢物語」があり、早速借りだして読み出したら、これが

面白くて急いで文庫本を購入しました。

 

高校時代、古文といえば「徒然草」と「枕草子」しか触った

記憶が無く、実は「源氏物語」も途中までしか知らず、つい

最近光源氏が亡くなるところまで読んだばかり。

 

光源氏」は紫式部の創作なのに対し(モデルは「藤原道長

らしいのですが)、「業平」は実在の人物で「光源氏」同様

天皇の血筋でありながら、臣下に下されたのが共通点。

違うのは、「光源氏」は容色、才能、学問のすべてに完全

無欠に描かれていますが、「業平」は容色、和歌には秀でて

いたが、学問は今ひとつで、「在五中将」と呼ばれていた。

 

伊勢物語」は125段の恋愛全集であり、俵万智先生の

「恋する・・・」というタイトルの通り、盛り沢山の

実に楽しい「恋」のお話しを読ませて頂きました。

 

こんな面白い古典があったことを知らないでいたのは、

自分の怠慢か、国語の先生のせいか、など、つまらない

感想を持ちましたが、生きていて良かったと、幸運の

女神に又もや感謝です。(実は、小生には何人も幸運の

女神がついているようなのです。)

 

 

 

I LOVE YOU SO (SARANHE)

As I wrote last month,  I met a young Korean girl in New York almost 40 years ago.

She was working at a Korean night club as a  hostess and a good singer of Korean

songs.  Last time I wrote about the song titled "E-Byoru"(Separated) and this time

I want to write about "SARANHE"(I love you so).  This was her favorite love song

together with "E-Byoru"(Separated).

 

Please enjoy my poor translation of the Korean song:

 

I love you so.  I really love  you, only you.

You don't know  how much tears I dropped after you left from me.

 

Yeah!  Yeah!  Yeah!

Yeah!  Yeah!  Yeah!

 

I love you so.  I really do love you.

 

I  love you so.  I really love you.

You, my love.  You left far away from me.

You, my love.  I can never forget you.

I missed you every night  since you left  from me.

I wish I could see you, my love.

 

Yeah!  Yeah!  Yeah!

Yeah!  Yeah!  Yeah!

 

I love you so.  I really love you.

 

Yeah!  Yeah!  Yeah!

Yeah!  Yeah!  Yeah!

 

I love you so.  I really love you.

 

コロラドの記憶

48才のとき、たった半年間、米国コロラド州デンバー市に

滞在した。目的はワンマン・オフィスに駐在、新規取引の開拓

だった。

 

自然の面ではロッキー山脈の麓という極めて珍しい環境だった。

デンバー市は「Mile High City」という愛称があり、

標高1600メートルなので、空気が少し薄い。 

ゴルフボールの飛距離がアップすると云われている。

 

滞在した時期は日本がバブルで大騒ぎしていたころの9月から3月、

つまり、秋から冬だが、乾燥していたせいか、シカゴ・ニューヨーク

の冬みたいに腰の高さまでなどという積雪は無かった。

 

歴史的には西部開拓時代交易所で賑わったり、ゴールド・ラッシュで

沸いた土地であるが、主な産業は農業である。

第二次世界大戦で西海岸に居た日系人が収容所に入れられ、戦後開放

されたが、財産は没収されされており、当地の農場に移ってきて

成功して農場を持つに至った方々も多い。

日本レストランや寿司店も数軒あった。鉄板焼きの「べにはな」も

あった。 日本人相手のストアーが集まった「さくらマート」なる

ショッピングモールもあった。

 

現代のデンバー市はNASAの打ち上げるロケットのブースターを製造

する工場があるほか、IT関連の開発が盛んである。

 

陸軍のキャンプがあったが閉鎖され、地域経済に影を落とした。

 

少し北にはコロラド大学のキャンパスがある。

 

南のコロラドスプリングスには空軍士官学校があった。

 

デンバーの町は環状道路で囲まれており、南北と東に主要道路が

延びており、出入りに便利である。

全米規模の催し物が出来るホテルとイベント会場があり、

駐在中にコンピューター・ショーが開催された。

 

コロラドスプリングスはスキーのメッカであり、

ロッキー山脈の山間部に「Garden of Gods]という美しそうな

ところがあったが行けなかった。

 

プライベートな面では、会社の事務所を借りていた

マンションに自分の住まいを借りたので、このうえなく

便利であった。

洗濯も最上階に立派なランドリーがあり、プールまであった。

ほとんど毎晩外食だったが、韓国バー・レストランが何軒もあり

食事、飲酒に女性が同席してサービスしたり、ダンスの相手も

してくれて、夜が楽しみだった。

 

毎月ヒューストン支店のゴルフの月例会に出たり、サンフランシスコ

支店にも打ち合わせにでかけ、ラスベガスのコンピューターショーに

顔を出したり、帰国のときはニューヨーク本社に立ち寄るなど、

短期間の割には刺激のある期間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんの上掛けふとん

ブログのネタにはどうかと思いましたが、色彩・デザインが

面白く、趣味の手芸とは言いながら、アート感覚で鑑賞して

頂ければと思います。

 

最初は赤ちゃんのベッドで一番上に掛ける上掛けです。

名前は恰好を付けて「ベビーキルト」と呼んでいます。

これはパッチワーク・キルトの範疇に入ると思いますが

材料は外がシルク、裏がガーゼです。 裏に誕生日と

赤ちゃんの名前を縫い取りで入れてあげます。

 

グランパ、グランマが初孫にプレゼントして喜ばれている

そうです。 外人さんが注文することが多く、結構海外に

行っているかもしれません。

           

           タイトル「かざぐるま」

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            タイトル 「こけし

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