へー、本当? 第十八話

 スペインと云えば、首都マドリッド、オリンピックが開催

された、バルセロナが有名ですが、北の方、フランスとの

国境に近いところにある、ビルバオという町を知っている

日本人は少ないと思います。この町はかつては製鉄と造船で

栄えたのですが、今は芸術都市になっています。

 

 ある日本人の男がアメリカに駐在しているときに、

米国人と一緒にこの町を訪れました。この町は山に

囲まれており、天気が不安定で、飛行機の着陸が

困難なことがよくあったそうです。訪問先の担当者が

大歓迎してくれて、パテイオのあるレストランで

豪華なランチに招待。延々2時間にわたり、いろいろな

料理が出され、ワインがひっきりなしにつがれるので、

眠気を抑えるのが大変だったそうです。

(写真の通り、周りは山岳地帯)

f:id:TedO:20170430223711j:plain

 

 スペインでは、朝が早く、昼は自宅に帰って食べて、

昼寝し、それから夜は遅くまで働き、レストランの

デイナ―は9時からとのことでした。余談ですが、

タクシー代が大変安いのも一寸意外でした。

 

 泊まったホテルでも、職員みんなが歓迎ムードで

下のように記念写真に応じてくれました。

f:id:TedO:20170430223511j:plain

さて、ビルバオバスク州にありますが、バスク地方

方言は日本語に似ており、顔つきも日本人に似ている

人がいるそうです。太古の時代にモンゴル人でも移住

して来たのでしょうか。

 

 スペインは過去に自治州が認められ、独立運動

あったそうです。当時も、反政府活動があったようで、

山の中を空港に向かう途中で銃を持った軍人の検問を

受けました。幸い、米国人がいたので、直ぐに解放

されましたが。

 

 本当に世界にはいろいろなことがありますね。

 

うそー! ほんと? 第十七話

f:id:TedO:20170427211520j:plain

 昔、ある男が米国から一時帰国し、赤坂のホテルに宿泊

していました。夕食後一人で夜の街に飲みにでかけます。 

小さなバーの扉を開けて中に入り、カウンターに座ります。 

カウンターのなかの女の子が話相手になってくれます。 

彼女は彼氏がイランに行ってしまい、某外国語スクールで

ペルシア語を習って、彼の後を追いかけるつもりと云います。 

彼が米国からの一時帰国者で直ぐに米国に帰るのを知って、

一時の気まぐれでしょうが、店が終わったらお付き合い

しますよと云う。11時にバーを出て、踊れるレストランに

行きましょうと、引っ張っていかれます。 軽く食事をとり、

ダンスを楽しみ、そこまでかと思っていたら、彼女は

「別れが惜しいの。もう少し一緒に居て」といいます。

 

 そこで、ようやく彼女の気持ちが分かり、喜び勇んで、

ホテルではなく、近所のモーテルに連れて行きます。 

彼女は多分22才前後、彼は30台後半、棚から牡丹餅と

喜び勇んで情熱的な時間を共有します。 

翌朝、彼女には十分なものを渡しました。彼女は、意外

そうというか、怒ったような顔をしていましたが、少し

すると笑顔を見せて一緒に外へ出て、彼女は駅の方へ、

彼はホテルのほうへと、別れ別れになります。

 

 これが、援助交際だったのかどうかは、彼には分から

なかったそうです。でも、若くて可愛い女の子と数時間とは

いえ、夢の様な時間を持てたことは何時までも忘れられない

と云っています。

 

  

うそ―! まさか! 第十六話

 熱烈な純愛物語です。 ある男から耳にした昔の話ですが、彼の知り合いの

中年の教師が突然死しました。 告別式から火葬場に行き、棺桶の蓋を開けて

参列者全員が生花を遺体の上に置きます。 そのあと、棺桶は蓋を閉めて

焼却炉の中に進められる筈でした。 ところが、棺桶の脇に居た中年の女性が

棺桶の上に登ろうとしがみつきます。 あわてて、周りの人たちが彼女を抱き

かかえて下そうとしました。 すると、彼女は「私も一緒に焼いて!!」

と繰り返し叫ぶのでした。

f:id:TedO:20170427053814j:plain

実は、亡くなった教師とこの女性は恋愛関係にあったのだそうです。

彼女は生徒の母親だったのです。

 

 まるで、100年まえの島村抱月松井須磨子の熱愛みたいです。

松井須磨子は抱月の死後2か月後、後追い自殺を遂げたという、ドラマを

地で行く最後でした。 彼女は33才の若さでした。

 

 その母親がその後どうなったか、誰も語らなかったようです。

 

 故渡辺淳一氏が聞いたらどんな物語に昇華してくれただろうか。

  

まさかー! 本当? 第十五話

 50年位前のことですが、ある男の身の上話です。父親は40才位から病弱で、結局胃癌で63才でこの世を去ります。息子はその時海外にいて、父親の死に目には会えませんでした。然し、余命半年と医者から云われたというので、国際電話で話し合いをしたが、父親は帰国する必要は無い、仕事をしっかりしなさいと、云ってくれたそうです。然し、会社は彼が一人っ子であることを考慮して、5年駐在の予定で送り出したのを、2年に切り替えてくれました。もともと、新しい部長役を送り込み、前の部長を日本に返す間のつなぎ役だったので、その目的は果たせていたのです。

 

 彼には母親と妻子が日本に待っていました。ところが、父親の死後間もなく、今度は母親が倒れます。幸い、彼は丁度帰国準備中で、急いで帰国し、空港から病院に直行します。然し、母親は苦痛を抑えるために、全身麻酔をかけられており、話はできません。母親の女姉妹たちが病室に付き添っており、彼に一旦自宅に帰って少し寝て来なさい、と云ってくれます。

 

 若夫婦は喜んで自宅に行き、布団で横になります。2年間の別居生活のあとですから、燃え上がったことはもちろんです。その結果、10か月後次男が生まれ、人は死んだ祖母の生まれ変わりだと云い、祖母の早すぎる死を悼むことになります。

 

 次の日の朝、病院に行くと、母親は息を引き取るところでした。みんなは父親があの世に連れて行った、仲の良い夫婦だと噂します。母親は54才、まだ、父親の死から「百か日」すら、済んでいません。母親は長年、夫の看病で自由が無く、年も若いので、これから、姉妹や近所の知人と温泉旅行などを楽しみにしていました。

 

 実は、両親は彼の実の親ではなく、子供が出来ないので、父親の妹夫婦の三男を養子にしたのです。彼は大学入学で戸籍謄本を取り寄せ、初めて事実を知りますが、本当の親子みたいに育てられたので、むしろ、親戚中がその事実を隠し、彼には知らせないようにしていたことのほうが驚きだったそうです。

 

 父親は若い時の不摂生や苦労がもとで、40台で半病人となり、あとは母親が頑張ってくれたのに、人生の途中で命を落とし、どんな思いで逝ったのか、彼は考えるたびに、実の母親のように、あわれを感じるそうです。

f:id:TedO:20170426133844j:plain

 

 

 

 

 

 

 

えー! 本当? 第十四話

 大昔、ある男がおりました。 大学に入るまではガールフレンドも

無く、入学後直ぐに青年向けの雑誌の最後の方の文通希望者欄を見つけ、

文通希望の女の子に片っ端から手紙を書きました。

5人位から返事があり、文通を始めました。 近畿、東北と地方の人

ばかりでした。 短大に合格して上京した人に会いましたが、それっきり

となりました。 他の人達とは文通も続きませんでした。 ところが、

一人、東北の図書館司書をやっている女性が、親切なお寺さんがあり、

無料で泊めてくれるから、夏休みに遊びに来ないかと誘ってくれました。

 

 喜んで東北周遊券を買って、お米をリュックに詰めて出かけました。

そう、まだ、戦後で食糧事情が良くありませんでした。 2週間お寺の

方丈さんご夫婦に親切にして貰い、子供達と毎日リアス式海岸を見て

歩き、美味しいものをご馳走になり、帰りは平泉の中尊寺の光堂を見て

帰京しました。 文通相手の女性も毎日仕事の帰りにお寺に寄って、

食事の後片付けを手伝い、急速に親しくなりました。

 

 然し、帰京後は学業とアルバイトに忙しく、彼女との文通は減って

いきました。一度彼女から東京に出て来たという手紙があったが、

返事を出せませんでした。

 

 そして、大学卒業、就職、2年目の夏、休暇を取って東北旅行を

計画しました。 ところが、彼女との文通は途絶えており、連絡が

つかず、松島から浄土ヶ浜、盛岡経由、十和田湖、青森まで北上、

泊めて貰ったお寺には寄らずに帰ってきました。

 

 50年以上過ぎたが、忘れ得ない夏休みの二週間だったそうです。

(写真は浄土ヶ浜

f:id:TedO:20170425201023j:plain

 

 

うそ―! ほんと? 第十三話

 昔、ある男から聞いた、一寸だけ不思議な話です。

 

 彼は、日本から世界中に鋼管を輸出するという仕事についていました。

最初は石油井戸の掘削用のチューブとか、噴出した原油精油所に輸送

するパイプライン用のパイプとかの輸出で、お客は中近東、南米の政府の

石油を管轄するお役所でした。 競争相手はドイツとイギリスでした。

日本はまだメーカーが2社しかなくて、手を組んで入札に参加して

いました。 落札出来たら、2社が交代に受注する方式です。

情報を入手するために、スパイもどきのこともやり、裏工作もした

そうです。

 

 然し、この商売も競争とか資源の枯渇とか、今では理由は分からく

なりましたが商売が途絶えてしまいます。

 

 鋼管の用途にはガス・水道用もあれば、電気の配線用とか、建設現場

の足場管とか、直径の細いパイプ類が多いのですが、直径が1メートル

以上の大径鋼管もあります。 用途は地下埋設用の上下水道、農業用の

灌漑用、建設現場で使うくい打ち用などもあります。 大径鋼管は普通

コンクリートや鋳鉄管が使われますが、重くて扱いが大変です。

 

 米国西海岸のアリゾナ州で灌漑用に肉厚の薄い大径鋼管を使っている

ことがわかり、日本の一部のメーカーがこの市場に進出し、彼の部署でも

この商売に取り組みます。

 

 不思議な話とは、ここにあるのです。 輸出には貨物船を使いますが

運賃は重さの場合と容積の場合とあります。重量トンと容積トンといいます。

いずれも単位は1トンです。 重量トンはその名のとおり、1トンは千キロ

です。容積トンというのは、1.113立方メートルのことです。鉄のパイプでも

肉厚が薄い大径管は重量は1トンでも容積トンは2トン以上になります。

業界では「空気を運ぶようなもの」と云われていたそうです。そこで、

日本のメーカーはウルトラC級の輸送法を開発したのです。

 

 つまり、2本の直径が少し違う大径管を重ねることを考えたのです。

例えば、外径200CMの大径管を外形240CMの大径管の内側に

挿入し両端にかすがいを打ち込んで動かないように固定します。

すると、外形240CMで肉厚は倍になり、容積トンは重量トンより

小さくなります。これで、運賃が半分以下になり、価格競争力が

大幅アップします。その後、3本を一体化するまでにいたります。

一寸面白いのは、この方法のネーミングで「ネスティング」と名付た

のです。「ネスト」とは「鳥の巣」のことです。一寸判り難いですね。

 

 半世紀前の日本の技術開発力を示す一例ですが、凄さがお分かり

頂けますか。

 

うそー! 本当? 第十二話

 40年以上前のお話し。 ある男が韓国のソウルで体験した

びっくり仰天の話。 韓国のある大手メーカーの輸出部数名が

日本人の彼と米国人の同僚2名を妓生パーティーに招待して

くれました。妓生(キーセン)とは日本の芸者に似た、宴会で

接待をする職業の女性たちのことです。絹の衣装がユニークで

華やかで、芸者というより、京都の舞妓さんや芸妓さんに近い

かも知れません。借りものですが写真を見た方が早いですね。

f:id:TedO:20170424184901j:plain

f:id:TedO:20170424185417j:plain

 上着がチョゴリ、袴のようなのがチマと云います。

芸は踊りと太鼓がある筈ですが、この晩はお酒と

つまみのサービスだけでした。

 

 お客一人にキーセンが一人専属でつきました。

彼の相手は22才の可憐な女の子でびっくりです。

 つまみのなかに白い、ソーセージを3センチ位に

切ったものがあり、何だろうと思いながら、箸で

つまみ上げ口に入れました。硬くて、味が無かった

そうです。 ところが、それを見て妓生たちが、

口に手を当てて笑うのです。 彼は隣の妓生に

何故笑うのか聞きました。すると、「それは、豚の

ペニスで、精がつくと云われているからなの」との

説明にびっくりです。

 

 お酒が強かったのか、もどしたくなり、トイレの

場所を聞くと、妓生が案内してくれたのですが、

彼女も中迄ついてきて、また、びっくり。

さらに、そのトイレが広いこと。六畳を縦に2つ繋いだ

くらいあったそうです。

 入口に近い方に洋式の便器がありました。

蓋を開けて胃の中身を吐くと、彼女が背中をさすってくれました。

 彼がスッキリして、席に戻ろうとすると、今度は彼女が着ていた

チマチョゴリを脱いで、便器に座って用を足すのでした。

それを見た彼はムラムラとしてきて、思わず彼女を抱きしめて、

下着の下に指を入れようとします。ところが、白い木綿の下着は

細いヒモで体に巻き付けてあって肌にはさわれません。

あとは唇にキスするしかありません。

 彼女は情熱的に応じてくれて、そのあと、何事も無かった

ように席に戻りました。 

 彼から男性の皆さんへのメッセージです。

「一生に一度は妓生とのふれあいを体験してみてください。

ハングル・ドラマの世界に戻った気分になりますよ。」