へー、ほんと? 第十一話

 ニューヨークのマンハッタン、多分ダウンタウン

夕食後、レストランから出たところで、まだホテルに帰るには

早すぎる。何処か面白い所はないかと、日本から着いたお客に

聞かれたが、ニューヨークに転勤したばかりの彼には心当たりが無い。 

そこで、思いついたのが、タクシーの運転手は商売柄情報を持って

いるだろうと、タクシーに乗って頼んでみることにした。

これが大当たりで、さすが、ニューヨークとお客に喜ばれた

のである。

 

 夜で周りは分からないが大きな建物の入口はブロードウェイの

劇場みたいな感じ。 中に入ると、正に、映画館のように、ロビーから

ドアーを開けて、内側に入ると中央に丸いステージがあり、それを囲んで

テーブルと椅子が置いてある。 飲み物を貰って、煙草を吸いながら

ショーを観る。 パリのムーランルージュに行ったことは無いが、

映画で観たショーに似ていて、白人女性が足をあげて踊っていた。

 

 ショーが終わったとき、ウェイターに、「踊り子を一人テーブルに

呼んで、飲み物をご馳走したいがどうかな」と訊いたら、「OK」と

連れて来た。彼女と話したが、何も気が付かなかった。すると、

彼女の方から、「気が付かない? 私たちは男なんですよ」と

云われ、「えー、ほんと?」と云ってしまった。ところが、彼女、

いや、彼は、さらに、「黒い衣装のウェイターはみんな女の子

なんだよ」と教えてくれ、慌てて見まわすと、確かに、みんな

宝塚の男装麗人のような、整った顔立ちで美男子、いや、美女

揃いなのである。

 

 驚いたが、ニューヨークらしいと、話のタネになると、お客は

大喜び。 面目を施した。

 

 ところが、場所も名前も分からず、他の客に見せようと思い、

電話帳で探したが見つからず、人に聞くにも手がかりが何も無く、

今となっては、彼の記憶の中にしか存在しないのである。

パリのムーランルージュの写真でも見て下さい。(出典はネット)

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まさか、嘘でしょう? 第十話  

「事実は小説より奇なり」ですが、この話は殆どが事実です。

昔、ある30台後半の男が商売半分、観光半分で山陰地方に旅を

したときのことです。 山陰は鳥取砂丘伯耆富士と云われる

大山、米子温泉、宍道湖のある松江、日本一長い露天風呂のある

玉造温泉、縁結びの神様、大国主のみことを祀った出雲大社

スサノオノミコトクシナダヒメとやまたのおろちの伝説、

「怪談」のラフカデイオハーン(小泉八雲)が住んだ家、

更に、松葉ガニという珍味、等々、観光資源が溢れています。

ここで、一寸ネットから拝借した写真を入れましょうか。

上が伯耆富士の大山、下がやまたのおろち退治伝説。

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このような神話、伝説の地だからか、奇妙なことが起きたのです。

彼は泊まった海辺のホテルの最上階のレストランで朝食を摂って

いました。偶々、他に客はおらず、若いメードさんも手持無沙汰の

ようで、彼が「この土地の人?」と訊くと「いいえ、隠岐の島出身

です。」という返事。それから、少し、話が弾んで、彼女の方から

「夜はどうされるのですか?」と聞かれ「何も無いけど」と答えると

「カラオケとか案内しましょうか?」と云うので「それは有難い」と

デートの約束が出来てしまいました。

その夜、彼女の案内でカラオケのあるバーに行きます。お互い次の

日の仕事があり、適当に引揚げ、タクシーで彼女のアパートに送ろうと

外で空車を待ちます。ところが、彼女「もっと一緒に居たい」と云い、

はたと気が付きます。 タクシーの運転手に「どこか静かなところへ」

というと慣れたもので、何も聞かずに、とあるモーテルに行きます。

次の日は仕事ではなく、大山でゴルフの約束があると云ったら、彼女は

「車で送り迎えします」と云い、本当に送迎してくれて、夜は、また、

モーテル行きです。次の日は東京に飛行機で帰ります。

ところが、彼女から会社に電話が入ります。話しの内容は何という

ことは無く「声が聴きたいの」というだけ。三度目くらいには

「そんなに長距離をかけたら金がかかって大変だろう」と云うと

「お給料全部電話代に使ってもいいの」と云われ、さすがに、

彼も燃え上がってしまい、「夕方の便で飛んで、空港に着いたら

電話する」と返事をします。

然し、仕事が片付かず、飛行機の時間に間に合わず、新幹線の最終便で

岡山に行くことにして、駅のホームでの待ち合わせに変更と連絡します。

岡山駅前の旅館に一泊、次の日は京都に行き、京都に一泊、次の朝、

西と東に別れます。

年の差14、5才の乙女からの夢の様な恋慕。 

これこそ「神ってる」としか言いようがないでしょう。

 

 

 

 

そんなことあり? 大学受験 第九話

 彼自身、未だに信じられない、小さな幸運の話です。

 

 彼の学業の成績は平均よりは上ながら、特に優秀とは言えなかった。

高校に入った時は進学校に合格して、未来は明るかった。ところが、

授業の内容は中学と高校の間には大きな違いがあり、彼はついて行けず

落ちこぼれてしまった。 然し、貧しくて塾とか予備校には行けなかった。

何となく3年間を過ごし、大学受験を迎えても、全く受かる気がせず、

何処も受ける気は無かったが、公立を1校だけ受験して不合格でも、

何とも思わなかった。

 

 就職という選択は無く、大学受験のために、予備校に入った。

ここでも、学力がついたとは思えず、案の定、翌年の受験は一次試験も

通過しなかった。 中学時代、高校時代と、勉強が上滑りで、何も

頭に残らなかったような気がしていた。 そこで、浪人2年目は

予備校には行かず、昼間は図書館で参考書を借りて、勉強方法を

考えながら独学した。 他には、通信添削を申し込み、全国の

受験生の中で自分の力がどの辺に位置しているかを見ていた。

 

 その結果、自分としては自信を持って受験に臨み、一次試験は

通過した。 然し、二次試験は落ち、がっかりした。 生まれて

初めて、死にたいと思った。 精神的にそこまで落ち込んだら、

逆に、折角授かった命だから、大学には拘らず、出来ることを

いろいろやってみて、落ち着くところに落ち着けば良いと諦めが

ついた。

 

 取りあえず、近所の私大の学食のヘルプの募集があったので

採用して貰った。 仕事は雑用掛かりだが、中・高・大学一貫校

なので、接する相手も、中学生、高校生、大学生、教員、教授、

調理場の親方、同僚など、飽きることは無く、夏休みで休業まで

夢中で過ごし、教科書・参考書などには全くノータッチであった。

 

 ところが、夏休みになって、考える余裕が出来た。 高卒で

就職するのと、大卒で就職する場合の違いを考えたら、やはり、

大学に入りたいという欲が湧いて来た。そして、残る6~7か月、

最後の踏ん張りを利かしてみようと、一大決心をしたのである。

 

 それまでは、一期校と滑り止めの二期校とダブル受験したのを

二期校のみに絞ったのである。一期校の受験科目は英語1、国語2、

数学2、理科2、社会2の7科目で配点は各100点、合計700点。

二期校は英語が300点、数学は無し、国語1、理科1、社会1、

国理社は各100点、合計600点。2校に対する勉強の仕方は

まるで違う。 彼は、理数が苦手、英国社は得意だったから、

二期校に絞ることにより、より大きな力が出せたのである。

 

 遠回りしたせいで、3浪はしたけれど、そして、第一志望校では

なく、第二志望校だったが、とにかく国立大学に入れたのである。

 

 凡才しかない男が望みを果たせたのは、幸運の女神が微笑んでくれた

としか思えないのだがどうだろうか。

 

うそー! まさか! 第八話

 昔、むかし、一人の変わった男がいました。

商社マンとして、ニューヨークに2年プラス8年、計10年駐在、

更に、ロッキー山脈の麓にあるコロラド州デンバー市に半年駐在、

帰国の命令が来て日本に帰ることになります。

 

その時、日本はかつてない規模の金融バブルが到来、株式・債券、

ゴルフ会員権、土地の値上がりはすさまじいものでした。

 

 そんな時代が来るとも知らず、数年前に、彼は親から相続した東京

都心の古い木造家屋を鉄骨ヘーベル5階建てに建て替え,ローンの返済に

苦労していたのです。そして、アメリカに10年も住んだので、狭い

日本ではなくアメリカで何か商売をしようと考えていました。

 

 だから、帰国するときは、所有していたビルを売却し、その資金を

持ってアメリカに戻ろうと考えていました。予想どおり、地上げ屋が声を

掛けてきました。そこで、会社勤めをしていては、交渉に腰が入らないと、

25年しか勤めてない会社を退社して売却交渉に臨んだのです。 

 

 交渉は満足のいく条件で成功、資金も準備出来たので、アメリカに

事前の調査に行こうと、旅行代理店経由、米国領事館にツーリストビザ

(観光ビザ)を申請します。旅行代理店はハワイ行きのツアーのメンバー

としてビザを申請したが、何かの手違いで出発日が過ぎているツアー

だったことが領事館の担当者に見つかり、代理店と一緒に本人も呼び

出されます。そして、何と、全世界の米国領事館に「要注意人物」

として連絡、つまり、「ブラックリスト」に載せると言い渡されます。

 

 こうなっては、代理店もどうすることも出来ず、ビザの申請を諦め

ようとします。然し、一人、同じく会社をやめて、中小企業の社長と

合弁で会社を立ち上げた男がおり、その会社の米国派遣員というビザ

なら取れるから、同社に来ないかと誘われます。

 

 ところが、ここで、この男は25年勤続、会社から肩たたきにあった

訳でもないのに、自分から勝手に退職するという、尋常ではない決断を

したあとで、再び、とんでもない決断をします。 

 

 米国に戻ってもゼロから事業を始めるので、勝算があった訳ではない。

41才で四十肩という筋肉の故障に見舞われ、90%は快復しているが、

そのままの生活を続けるのが不安でもある。

 

 そこで、リハビリをかねて、温泉別荘地に住居を建て、証券売買を

しながら、念願のゴルフ三昧の生活をしようと決めたのである。

1~2年は値上がりで利益をあげたが、バブルがはじけて相場が

頭打ちとなるや、彼は、潔く手仕舞いし、損は被らない。

これは、商社で外国為替の変動、金・プラチナ価格の変動などで

相場観が出来ていたからである。株取引も若い時から相場とか

チャートとかに接していたし、会社四季報も頻繁に読んでいた。

 

 然し、折角儲けたのに、当時の累進的な「所得税」に利益を

さらわれるのである。国の国債残高の減少には貢献したが。

うそー! まじで? 第七話

 昔、むかし、ある男がおりました。

 

 彼がヨーロッパの某国に駐在していたときのことです。

日本では考えたことも無いような出来事にいろいろと遭遇しました。

 

 一つは、先輩と、夜の港町の大通りを歩いていたときです。

舗道に面した入口がガレージか車の修理工場のような感じで

全体がふさがっていて、入口が分かりませんでした。

ところが、先輩が一カ所を押すと内側に開いて、先輩は彼に

ついて来いと云って中に入ります。

 内部は天井の僅かな蛍光灯が青白く照らしています。

奥の方に恐る恐る進んで行くと、白くスラリとした女性と

覚しき影が一人、二人と、近付いてきます。

 良く見ると、みんなハイヒール以外、何も身に付けて

いません。 まるで、水族館の水槽の底を足のある人魚が

歩いているようです。

 気に入った女性と会話するうちに、階上でゆっくりお話し

しませんかと誘われ、手を引かれて階段をあがります。

二階にはベッドのある部屋が幾つもあるようで、中に入ると、

ゆったりした部屋に清潔な感じのベッドが置かれ、本題に

入ります。 そこから先は省略しますが、若く美しい女性と

夢心地の時間を過ごしたとだけ云えば十分でしょう。

 

 次は、ピレネー山脈に近い、落ち着いた内陸の街に出掛けた

ときのことです。 そこでも、先輩が夜の街を案内してくれます。

街角の小さな酒場に入ります。すると、奥の壁を背にして雛壇の

ようにベンチが置いてあり、女性が4~5人座っています。 

その前にカウンターがあり、バーテンが客の相手をしています。

お客はお酒を飲み、煙草を吸いながら、女性たちの品定めをする

という仕掛けなのです。アメリカの西部劇に出てくるような

雰囲気です。 女性たちは若くて明るい感じで、気に入った子に

声を掛けると下に降りて来て、一緒に店の外にでます。そして、

歩いてすぐの小づくりなホテルに入り、楽しい一時を過ごします。

帰りも一緒に元の酒場まで歩いていき、待っていた先輩と合流

します。

 

 彼の目にはヨーロッパの人達はアメリカ人よりも人生を楽しんで

いるように映ったそうです。 世界にはいろいろな国があって

面白いですね。

 

 

本当ですか? 第六話

 昔、むかし、ゴルフに狂った男がおりました。

 

 彼がゴルフを始めたのは30才直前と遅く、初めて米国に転勤した

ときです。現地会社の社長がゴルフ好きで、ゴルフを奨励していました。

 

 軟式野球や卓球をやっていたから、地面に止まっているボールを

打つのは雑作もないことと舐めて掛かったら、とんでもない、ボールの

頭をかすめてゴロになるか、調整して、少し後ろに打ち込むと、手前の

地面を叩いてからボールにあたり、やはり、ゴロにしかならず、なかなか

空に向かっては飛んでくれません。

 

 然し、上司や先輩に上手な男が多く、見よう見まねで何とかコースに

出られるようになります。

 

 何故、みんな上達が早いのか。理由はありました。米国駐在では他に

エネルギーを使うことが少ない。日本だと夜の付き合いが多い。職場と

住宅が離れており、週末は疲れを癒すのが精いっぱい。練習場は少なく、

費用が高い。 パブリックコースが少なく、コースでプレーするには

メンバーコースの高額な会員権を持たなければならない。

 

 それに対し、米国では練習場が多く、貸ボールの値段が安い。パブリック

コースが多く、プレー代が安い。住んでいる地域からコースまでの距離が近い。

交通費も日本だと電車かハイヤーだが、米国ではマイカーの乗り合いと

はるかに恵まれている。

 

 ゴルフは先ず1打目で狙った方向にナイスショットをしなければいけない。

うまく打てた時の快感は大変なもので、だから、練習場に行くのも楽しい。

 

 しかし、ある程度慣れたころ、先輩から「お前はゴルフに向いてない」と

云われてしまいます。ところが、彼も自分の筋肉が異常に堅いことを知って

いたので、「そうでしょうね」と素直に認めます。彼は高校生くらいになった

ころ、正座がし難くなりました。野球でも卓球でも自分が思った通りに身体が

動かないことも何となく気が付いていました。にも拘わらず、彼はゴルフに

のめり込みます。

 

 ゴルフは雪が降ると出来ません。ボールをマジックで色を塗ってプレーした

という話はありましたが、途中で止めないで、最後までプレーするための

思い付きだったのでしょう。でも、雪に埋まってはロストボールになるから、

やれる筈がありません。そこで、12月から3月の間はゴルフは出来ません。

 

 余談になりますが、冬場はボーリングに変わります。彼はボーリングにも

夢中になり、大会で優勝したり、6連続ストライクを出したり、ハイスコアも

210くらいが数回出ました。 賭けてやっていて、相手が負けを認めず、

徹夜になったこともあったほどです。

 

 社内のゴルフ熱を示す話が二つありました。一つは、ニューヨークで

1ラウンド18ホールで2回ホールインワンを出した先輩社員がおり、

ニューヨークタイムズで紹介されたそうです。もう一つは、東京本社の

専務で名門「霞が関」のメンバーの方が77才で「エイジシューター」

つまり、18ホールを77でまわったという話がありました。

 

 彼は、ゴルフに向いていないことは理解していましたが、ニューヨーク

というゴルフのプレーに最適の地に、延べ10年も住んだお蔭で、スコア

だけは、80前後が出るようになります。

 

 彼は、仕事を辞めてゴルフに専念出来たら良いなあ、と夢みたいことを

考えていました。何と、それが、実現出来てしまいました。会社を辞めて

朝は1時間ほど原っぱでアプローチの練習、散歩、その後、温泉で体をほぐし、

ドライビングレンジに行って打ちっぱなし。週に2回はコースに出ました。

住んだところが伊豆函南だから、沼津、御殿場、伊豆半島とまわりには

ゴルフコースだらけ。自分のコース、知人のコースと、二日連ちゃんもあり。

 

 ホールインワン、アルバトロス、エイジ・シューティングなど夢だけは

大きく6年間くらい、ゴルフ三昧の生活。 然し、やはり、無理がたたり、

スコアは下り坂。 そして、燃え尽きた。

 

 

 

うそー! まさか! 第五話

 昔、むかし、ニューヨークのマンハッタンのど真ん中、ミッドタウン

での出来事です。道幅が広かったから57St.だったと思います。

 30台の日本人の男3人が日本食レストランで食事を終えて、次は

日本人バーに繰り出そうとしていました。

 タクシーを捕まえるために車道に向かって、舗道の端に3人別々に

離れて立ち、通りかかるタクシーに「タクシー!」と叫んでいました。

 一番右端に居た男のところに、背の低い醜い顔の老婆が近づき、

「可愛い子がいるよ。案内するよ」と声を掛けてきます。これから

バーに行くところだから、「要らないよ」と断ります。ところが、

婆さんはしつこく食い下がり、ついには彼に抱き付いてきます。

彼が軽く突き放すと、諦めて離れて行きます。

 タクシーが中々捕まらず、もたもたしていたら、彼女がまた

寄ってきます。そして、再び、うるさくまとわりつき、抱き付いて

離れたとき、一番左に立っていた男が、「財布を取られたぞー!」

と叫んでいます。

 慌ててて、上着の内ポケットを探ると、右も、左も、空です。

 ようやく、スリだと気付き、「財布を返せー!」と叫びながら

婆さんを追います。すると、婆さんは「No! No!」と叫びながら

右のほうに逃げます。追いつきそうになった辺りで、若い男が運転する

小型のピックアップ・トラックが寄ってきて、婆さんはそれに跳び

乗って逃げてしまいます。

 バーに着くや否や、クレジットカード会社に電話してカードの盗難を

届けますが、スリに気づいたのがお客だったので、間抜けぶりが恥かしく

お酒の味も分からず、話も弾まず、唯一幸運だったのは、掏られたのは

クレジットカードや名刺が主で、現金は他のポケットに裸で入れてあって、

無事だったことです。

 つまり、スリは1回目で掏った財布に現金が入っていないので、再度

もう片方の内ポケットを掏ったのですが、無駄骨を折ったわけです。

 用心をしておいて良かったという「オチの無い」落語の小噺みたいな

話でした。