まさかー! 本当? 第十五話

 50年位前のことですが、ある男の身の上話です。父親は40才位から病弱で、結局胃癌で63才でこの世を去ります。息子はその時海外にいて、父親の死に目には会えませんでした。然し、余命半年と医者から云われたというので、国際電話で話し合いをしたが、父親は帰国する必要は無い、仕事をしっかりしなさいと、云ってくれたそうです。然し、会社は彼が一人っ子であることを考慮して、5年駐在の予定で送り出したのを、2年に切り替えてくれました。もともと、新しい部長役を送り込み、前の部長を日本に返す間のつなぎ役だったので、その目的は果たせていたのです。

 

 彼には母親と妻子が日本に待っていました。ところが、父親の死後間もなく、今度は母親が倒れます。幸い、彼は丁度帰国準備中で、急いで帰国し、空港から病院に直行します。然し、母親は苦痛を抑えるために、全身麻酔をかけられており、話はできません。母親の女姉妹たちが病室に付き添っており、彼に一旦自宅に帰って少し寝て来なさい、と云ってくれます。

 

 若夫婦は喜んで自宅に行き、布団で横になります。2年間の別居生活のあとですから、燃え上がったことはもちろんです。その結果、10か月後次男が生まれ、人は死んだ祖母の生まれ変わりだと云い、祖母の早すぎる死を悼むことになります。

 

 次の日の朝、病院に行くと、母親は息を引き取るところでした。みんなは父親があの世に連れて行った、仲の良い夫婦だと噂します。母親は54才、まだ、父親の死から「百か日」すら、済んでいません。母親は長年、夫の看病で自由が無く、年も若いので、これから、姉妹や近所の知人と温泉旅行などを楽しみにしていました。

 

 実は、両親は彼の実の親ではなく、子供が出来ないので、父親の妹夫婦の三男を養子にしたのです。彼は大学入学で戸籍謄本を取り寄せ、初めて事実を知りますが、本当の親子みたいに育てられたので、むしろ、親戚中がその事実を隠し、彼には知らせないようにしていたことのほうが驚きだったそうです。

 

 父親は若い時の不摂生や苦労がもとで、40台で半病人となり、あとは母親が頑張ってくれたのに、人生の途中で命を落とし、どんな思いで逝ったのか、彼は考えるたびに、実の母親のように、あわれを感じるそうです。

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えー! 本当? 第十四話

 大昔、ある男がおりました。 大学に入るまではガールフレンドも

無く、入学後直ぐに青年向けの雑誌の最後の方の文通希望者欄を見つけ、

文通希望の女の子に片っ端から手紙を書きました。

5人位から返事があり、文通を始めました。 近畿、東北と地方の人

ばかりでした。 短大に合格して上京した人に会いましたが、それっきり

となりました。 他の人達とは文通も続きませんでした。 ところが、

一人、東北の図書館司書をやっている女性が、親切なお寺さんがあり、

無料で泊めてくれるから、夏休みに遊びに来ないかと誘ってくれました。

 

 喜んで東北周遊券を買って、お米をリュックに詰めて出かけました。

そう、まだ、戦後で食糧事情が良くありませんでした。 2週間お寺の

方丈さんご夫婦に親切にして貰い、子供達と毎日リアス式海岸を見て

歩き、美味しいものをご馳走になり、帰りは平泉の中尊寺の光堂を見て

帰京しました。 文通相手の女性も毎日仕事の帰りにお寺に寄って、

食事の後片付けを手伝い、急速に親しくなりました。

 

 然し、帰京後は学業とアルバイトに忙しく、彼女との文通は減って

いきました。一度彼女から東京に出て来たという手紙があったが、

返事を出せませんでした。

 

 そして、大学卒業、就職、2年目の夏、休暇を取って東北旅行を

計画しました。 ところが、彼女との文通は途絶えており、連絡が

つかず、松島から浄土ヶ浜、盛岡経由、十和田湖、青森まで北上、

泊めて貰ったお寺には寄らずに帰ってきました。

 

 50年以上過ぎたが、忘れ得ない夏休みの二週間だったそうです。

(写真は浄土ヶ浜

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うそ―! ほんと? 第十三話

 昔、ある男から聞いた、一寸だけ不思議な話です。

 

 彼は、日本から世界中に鋼管を輸出するという仕事についていました。

最初は石油井戸の掘削用のチューブとか、噴出した原油精油所に輸送

するパイプライン用のパイプとかの輸出で、お客は中近東、南米の政府の

石油を管轄するお役所でした。 競争相手はドイツとイギリスでした。

日本はまだメーカーが2社しかなくて、手を組んで入札に参加して

いました。 落札出来たら、2社が交代に受注する方式です。

情報を入手するために、スパイもどきのこともやり、裏工作もした

そうです。

 

 然し、この商売も競争とか資源の枯渇とか、今では理由は分からく

なりましたが商売が途絶えてしまいます。

 

 鋼管の用途にはガス・水道用もあれば、電気の配線用とか、建設現場

の足場管とか、直径の細いパイプ類が多いのですが、直径が1メートル

以上の大径鋼管もあります。 用途は地下埋設用の上下水道、農業用の

灌漑用、建設現場で使うくい打ち用などもあります。 大径鋼管は普通

コンクリートや鋳鉄管が使われますが、重くて扱いが大変です。

 

 米国西海岸のアリゾナ州で灌漑用に肉厚の薄い大径鋼管を使っている

ことがわかり、日本の一部のメーカーがこの市場に進出し、彼の部署でも

この商売に取り組みます。

 

 不思議な話とは、ここにあるのです。 輸出には貨物船を使いますが

運賃は重さの場合と容積の場合とあります。重量トンと容積トンといいます。

いずれも単位は1トンです。 重量トンはその名のとおり、1トンは千キロ

です。容積トンというのは、1.113立方メートルのことです。鉄のパイプでも

肉厚が薄い大径管は重量は1トンでも容積トンは2トン以上になります。

業界では「空気を運ぶようなもの」と云われていたそうです。そこで、

日本のメーカーはウルトラC級の輸送法を開発したのです。

 

 つまり、2本の直径が少し違う大径管を重ねることを考えたのです。

例えば、外径200CMの大径管を外形240CMの大径管の内側に

挿入し両端にかすがいを打ち込んで動かないように固定します。

すると、外形240CMで肉厚は倍になり、容積トンは重量トンより

小さくなります。これで、運賃が半分以下になり、価格競争力が

大幅アップします。その後、3本を一体化するまでにいたります。

一寸面白いのは、この方法のネーミングで「ネスティング」と名付た

のです。「ネスト」とは「鳥の巣」のことです。一寸判り難いですね。

 

 半世紀前の日本の技術開発力を示す一例ですが、凄さがお分かり

頂けますか。

 

うそー! 本当? 第十二話

 40年以上前のお話し。 ある男が韓国のソウルで体験した

びっくり仰天の話。 韓国のある大手メーカーの輸出部数名が

日本人の彼と米国人の同僚2名を妓生パーティーに招待して

くれました。妓生(キーセン)とは日本の芸者に似た、宴会で

接待をする職業の女性たちのことです。絹の衣装がユニークで

華やかで、芸者というより、京都の舞妓さんや芸妓さんに近い

かも知れません。借りものですが写真を見た方が早いですね。

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 上着がチョゴリ、袴のようなのがチマと云います。

芸は踊りと太鼓がある筈ですが、この晩はお酒と

つまみのサービスだけでした。

 

 お客一人にキーセンが一人専属でつきました。

彼の相手は22才の可憐な女の子でびっくりです。

 つまみのなかに白い、ソーセージを3センチ位に

切ったものがあり、何だろうと思いながら、箸で

つまみ上げ口に入れました。硬くて、味が無かった

そうです。 ところが、それを見て妓生たちが、

口に手を当てて笑うのです。 彼は隣の妓生に

何故笑うのか聞きました。すると、「それは、豚の

ペニスで、精がつくと云われているからなの」との

説明にびっくりです。

 

 お酒が強かったのか、もどしたくなり、トイレの

場所を聞くと、妓生が案内してくれたのですが、

彼女も中迄ついてきて、また、びっくり。

さらに、そのトイレが広いこと。六畳を縦に2つ繋いだ

くらいあったそうです。

 入口に近い方に洋式の便器がありました。

蓋を開けて胃の中身を吐くと、彼女が背中をさすってくれました。

 彼がスッキリして、席に戻ろうとすると、今度は彼女が着ていた

チマチョゴリを脱いで、便器に座って用を足すのでした。

それを見た彼はムラムラとしてきて、思わず彼女を抱きしめて、

下着の下に指を入れようとします。ところが、白い木綿の下着は

細いヒモで体に巻き付けてあって肌にはさわれません。

あとは唇にキスするしかありません。

 彼女は情熱的に応じてくれて、そのあと、何事も無かった

ように席に戻りました。 

 彼から男性の皆さんへのメッセージです。

「一生に一度は妓生とのふれあいを体験してみてください。

ハングル・ドラマの世界に戻った気分になりますよ。」

 

 

へー、ほんと? 第十一話

 ニューヨークのマンハッタン、多分ダウンタウン

夕食後、レストランから出たところで、まだホテルに帰るには

早すぎる。何処か面白い所はないかと、日本から着いたお客に

聞かれたが、ニューヨークに転勤したばかりの彼には心当たりが無い。 

そこで、思いついたのが、タクシーの運転手は商売柄情報を持って

いるだろうと、タクシーに乗って頼んでみることにした。

これが大当たりで、さすが、ニューヨークとお客に喜ばれた

のである。

 

 夜で周りは分からないが大きな建物の入口はブロードウェイの

劇場みたいな感じ。 中に入ると、正に、映画館のように、ロビーから

ドアーを開けて、内側に入ると中央に丸いステージがあり、それを囲んで

テーブルと椅子が置いてある。 飲み物を貰って、煙草を吸いながら

ショーを観る。 パリのムーランルージュに行ったことは無いが、

映画で観たショーに似ていて、白人女性が足をあげて踊っていた。

 

 ショーが終わったとき、ウェイターに、「踊り子を一人テーブルに

呼んで、飲み物をご馳走したいがどうかな」と訊いたら、「OK」と

連れて来た。彼女と話したが、何も気が付かなかった。すると、

彼女の方から、「気が付かない? 私たちは男なんですよ」と

云われ、「えー、ほんと?」と云ってしまった。ところが、彼女、

いや、彼は、さらに、「黒い衣装のウェイターはみんな女の子

なんだよ」と教えてくれ、慌てて見まわすと、確かに、みんな

宝塚の男装麗人のような、整った顔立ちで美男子、いや、美女

揃いなのである。

 

 驚いたが、ニューヨークらしいと、話のタネになると、お客は

大喜び。 面目を施した。

 

 ところが、場所も名前も分からず、他の客に見せようと思い、

電話帳で探したが見つからず、人に聞くにも手がかりが何も無く、

今となっては、彼の記憶の中にしか存在しないのである。

パリのムーランルージュの写真でも見て下さい。(出典はネット)

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まさか、嘘でしょう? 第十話  

「事実は小説より奇なり」ですが、この話は殆どが事実です。

昔、ある30台後半の男が商売半分、観光半分で山陰地方に旅を

したときのことです。 山陰は鳥取砂丘伯耆富士と云われる

大山、米子温泉、宍道湖のある松江、日本一長い露天風呂のある

玉造温泉、縁結びの神様、大国主のみことを祀った出雲大社

スサノオノミコトクシナダヒメとやまたのおろちの伝説、

「怪談」のラフカデイオハーン(小泉八雲)が住んだ家、

更に、松葉ガニという珍味、等々、観光資源が溢れています。

ここで、一寸ネットから拝借した写真を入れましょうか。

上が伯耆富士の大山、下がやまたのおろち退治伝説。

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このような神話、伝説の地だからか、奇妙なことが起きたのです。

彼は泊まった海辺のホテルの最上階のレストランで朝食を摂って

いました。偶々、他に客はおらず、若いメードさんも手持無沙汰の

ようで、彼が「この土地の人?」と訊くと「いいえ、隠岐の島出身

です。」という返事。それから、少し、話が弾んで、彼女の方から

「夜はどうされるのですか?」と聞かれ「何も無いけど」と答えると

「カラオケとか案内しましょうか?」と云うので「それは有難い」と

デートの約束が出来てしまいました。

その夜、彼女の案内でカラオケのあるバーに行きます。お互い次の

日の仕事があり、適当に引揚げ、タクシーで彼女のアパートに送ろうと

外で空車を待ちます。ところが、彼女「もっと一緒に居たい」と云い、

はたと気が付きます。 タクシーの運転手に「どこか静かなところへ」

というと慣れたもので、何も聞かずに、とあるモーテルに行きます。

次の日は仕事ではなく、大山でゴルフの約束があると云ったら、彼女は

「車で送り迎えします」と云い、本当に送迎してくれて、夜は、また、

モーテル行きです。次の日は東京に飛行機で帰ります。

ところが、彼女から会社に電話が入ります。話しの内容は何という

ことは無く「声が聴きたいの」というだけ。三度目くらいには

「そんなに長距離をかけたら金がかかって大変だろう」と云うと

「お給料全部電話代に使ってもいいの」と云われ、さすがに、

彼も燃え上がってしまい、「夕方の便で飛んで、空港に着いたら

電話する」と返事をします。

然し、仕事が片付かず、飛行機の時間に間に合わず、新幹線の最終便で

岡山に行くことにして、駅のホームでの待ち合わせに変更と連絡します。

岡山駅前の旅館に一泊、次の日は京都に行き、京都に一泊、次の朝、

西と東に別れます。

年の差14、5才の乙女からの夢の様な恋慕。 

これこそ「神ってる」としか言いようがないでしょう。

 

 

 

 

そんなことあり? 大学受験 第九話

 彼自身、未だに信じられない、小さな幸運の話です。

 

 彼の学業の成績は平均よりは上ながら、特に優秀とは言えなかった。

高校に入った時は進学校に合格して、未来は明るかった。ところが、

授業の内容は中学と高校の間には大きな違いがあり、彼はついて行けず

落ちこぼれてしまった。 然し、貧しくて塾とか予備校には行けなかった。

何となく3年間を過ごし、大学受験を迎えても、全く受かる気がせず、

何処も受ける気は無かったが、公立を1校だけ受験して不合格でも、

何とも思わなかった。

 

 就職という選択は無く、大学受験のために、予備校に入った。

ここでも、学力がついたとは思えず、案の定、翌年の受験は一次試験も

通過しなかった。 中学時代、高校時代と、勉強が上滑りで、何も

頭に残らなかったような気がしていた。 そこで、浪人2年目は

予備校には行かず、昼間は図書館で参考書を借りて、勉強方法を

考えながら独学した。 他には、通信添削を申し込み、全国の

受験生の中で自分の力がどの辺に位置しているかを見ていた。

 

 その結果、自分としては自信を持って受験に臨み、一次試験は

通過した。 然し、二次試験は落ち、がっかりした。 生まれて

初めて、死にたいと思った。 精神的にそこまで落ち込んだら、

逆に、折角授かった命だから、大学には拘らず、出来ることを

いろいろやってみて、落ち着くところに落ち着けば良いと諦めが

ついた。

 

 取りあえず、近所の私大の学食のヘルプの募集があったので

採用して貰った。 仕事は雑用掛かりだが、中・高・大学一貫校

なので、接する相手も、中学生、高校生、大学生、教員、教授、

調理場の親方、同僚など、飽きることは無く、夏休みで休業まで

夢中で過ごし、教科書・参考書などには全くノータッチであった。

 

 ところが、夏休みになって、考える余裕が出来た。 高卒で

就職するのと、大卒で就職する場合の違いを考えたら、やはり、

大学に入りたいという欲が湧いて来た。そして、残る6~7か月、

最後の踏ん張りを利かしてみようと、一大決心をしたのである。

 

 それまでは、一期校と滑り止めの二期校とダブル受験したのを

二期校のみに絞ったのである。一期校の受験科目は英語1、国語2、

数学2、理科2、社会2の7科目で配点は各100点、合計700点。

二期校は英語が300点、数学は無し、国語1、理科1、社会1、

国理社は各100点、合計600点。2校に対する勉強の仕方は

まるで違う。 彼は、理数が苦手、英国社は得意だったから、

二期校に絞ることにより、より大きな力が出せたのである。

 

 遠回りしたせいで、3浪はしたけれど、そして、第一志望校では

なく、第二志望校だったが、とにかく国立大学に入れたのである。

 

 凡才しかない男が望みを果たせたのは、幸運の女神が微笑んでくれた

としか思えないのだがどうだろうか。