古典文学への回帰から得たもの(1)
タイトルはでかいが、そんなに大したことではない。
寿命が延びて来たお蔭で、普通は高校生で触れるだけの古典文学に
ちょっとスマートなやりかたで、再挑戦してみた結果を呟いて
みたいだけだ。
出てきたが、興味も感動もなかった。ただ、試験に出るから、
お付き合いしただけ。それに、文学と云っても恋愛ものが
好みなので、「源氏物語」は必須作品だが、高校時代は
「源氏物語」に触れたかどうかの記憶も無い。
俗世間と縁が切れて、ふと「源氏物語」を詳しく読んでみたく
なった。勿論、現代語訳で、である。図書館で探したが、目指す谷崎
潤一郎版が見つからず、瀬戸内寂聴版は百科事典みたいに、サイズが
でかいので敬遠。他の人気女流作家の文庫版で適当なものを見つけた。
物語は光源氏の死後まで続いていたが、目的が光源氏と女性たちとの
やりとりを知りたかっただけだから、紫の上が亡くなり、源氏も失意の
うちに世を去ったところまでで止めた。現代の恋愛小説やドラマと
くらべると物足りないが、千年以上前のお話しとしては、世界に誇れる
文学作品であることを確認した。後で読んだパールバックの「大地」は
貧しい小作農から始まって、三代にわたる男達の長い話で、ノーベル
古典というほど古くはないが、谷崎潤一郎のデビュー作「刺青」を
初めて読んだ。明治調の文章が読み辛いが「耽美主義」の嚆矢だけ
あって、平成末の今でも新鮮だった。
それから、物凄く、飛んで、ダンテの「神曲」を読みたくなった。
大学受験浪人時代、日比谷図書館で邦訳を読み始め、「地獄篇」は
とばして「煉獄篇」だけで、「天国篇」もご遠慮申し上げた。
読み難いのは知っていたから、阿刀田高氏の「やさしい<ダンテの
神曲>」を発見、通販で購入。当時としては珍しくラテン語ではなく
イタリア語で書いた詩で、そこがダンテのこだわりだったらしい。
当時の著名人が次から次へと登場するのが煩わしいが、氏の文章が
案内人となってスイスイと天国まで到達出来た。(つづく)