怪 我 の 功 名
(1)学校に上がる前、現場は銭湯。 何故か急いで入浴用道具一式を抱いて、
タイル張りの浴場から、板張りの更衣場に出ようとしていた。
そのとき、僕が開けようとしたガラスのはまった戸を、逆に浴場に入ろうと
した大人が、勢い良く開けたものだから、僕は右手が空振りして、前のめりに
転んでしまった。
身体の何処かがガラス戸にぶつかり、ガラスが割れて、大きな破片が、
お臍(へそ)の真後ろの背中に突き刺さった。
後のことは覚えていないが、当時は病院に行って縫ってもらうことはしな
かった。背中だから自分では分からないが、直径2~3センチの傷跡が
残っている筈。
(2)終戦直前、千葉の縁故疎開先(親戚)にいた時のこと。 国民学校
3年(9才)だった。 薪を拾いに裏山に入って行った。 直径30センチ、
長さ3メートルくらいの丸太を見付け、大喜びで肩に担いで歩き出した。
ところが、足元が見えず切り株につまずいて転倒。 切り株のまわりが
腐り、残った芯が尖っている上に、脚の脛(すね)がぶつかり、芯が突き
刺さった。 痛かったが丸太を残し、家に帰り包帯を巻いて貰った。
その丸太がどうなかったは覚えていない。
(3)小学校5年くらいか、外で知らない子供たちと喧嘩になり、相手が多い
ので走って逃げて家に帰り、玄関のガラスのはまった格子戸を閉めて内側に
潜んだ。 それを見て、ガキどもは玄関に向かって石を投げた。ガラスが
割れて、破片が頭皮に刺さった。
(4)小学校6年のとき、校庭で野球をやっていた。
打って一塁に走った。 塁を走り抜けても勢いが落ちず、鉄棒の支柱を
固定するネジの頭に膝をぶつけた。
3センチくらいの割れ目が出来て、白い脂肪やピンクの血筋が見えた。
不思議と出血はせず、打撲の痛みだけであった。
今なら縫うところだが、消毒薬を塗って油紙と包帯だけで済ませた。
傷跡は一応ふさがったが、痛みと皮膚のかゆみは治らなかった。
(5)大学生のバイトで調理場のアシストをやった時。 長さ30センチ、
幅5センチくらいの西洋包丁で豚カツに添えるキャベツを刻んでいた。
左手の指でキャベツの皮を何枚も重ねたのを押さえておいて、右手に
持った包丁を上からまな板に落として刻むのだが、サクサクと気持ち
良く切っていたら、左手中指の爪の手前の皮膚をスパッと切り取って
しまった。 最初は先端をまな板につけて、刃の中央から後ろの方で
切っていたのを、慣れて来て、刃を完全に宙に浮かして落とすように
なって、やってしまったミスである。 腕を過信した結果でもある。
(6)同じ調理場でガラスのコップを洗っているとき、コップが割れて
いるのに気づかず、右手の中指の後ろ側を切ってしまった。
「怪我の功名」とは
怪我をするたびに、何かを学び、二度と同じミスをしなくなる
小さな怪我を怖れなくなる
全てに注意深くなり、大きな怪我をしなくなる
これこそ、「怪我の功名」