May I help you?(英語人生のつづき)
私の卒業した大学は国立外国語専門大学で昔は東京外事専門学校と
いう名前だったらしい。入学試験も英語が300点(ヒヤリングを
含む)、国語100点(現代文、古文か選択)、社会100点
(日本史、世界史、地理から選択)、理科100点(生物、化学、
物理から選択)と英語の土台が出来ている学生という評価が貰えた。
だから、国家試験無しで中学の英語教師にはなれたらしい。
然し、私は人にものを教えるには学力・人格が十分そなわって
いなければいけないと考えていたし、入学の目的は総合商社に
入るための手段であり、語学力を鍛えるためではなかったので、
教職免許は取らなかった。ただ、今になり、英語教師になったら
自分が世話になった青山学院出身のハンサムだった恩師のように
なり、可愛い教え子たちが沢山出来、全然違う人生があったなあ、
という感慨が胸をときめかせる。
10年間の米国生活、度重なる欧州への出張などでの外国人
との接触から、数多くの人種の男女との会話はスムーズに
出来るようになったのは当然のことである。
然し、商社を50才で勝手に辞め、米国にとんぼ帰りする
つもりが、当時のヴィザ発給はきびしく、「ふさわしくない
外国人」扱いになり予定が狂った。 41才で「四十肩」を
患い、鍼灸で治ってはいたが、米国に行けないのは、案外運命
なのだろうと割り切り、こんどは伊豆半島に100%自分好みの
住まいを作り、パソコンと電話で投資のかたわら、ゴルフ三昧の
生活に入った。それからは、65才からの年金生活にたどりつく
までの時間つぶしの生活だった。英語を活かしての仕事もあったが
「帯に短し、たすきに長し」であった。その中に英語を教えるとか
翻訳、ガイドという選択は全く無かった。
最近、片や、2020年の東京オリンピックを見据え、また、
現実に外国人の訪日が増えて来たせいか、英会話を習得しようと
いう考えを持つ人が増えて来たような気がする。
私のように英語の中で長年生活した人間からみると、私の大学
受験みたいに無駄な勉強をしないで、直ぐ使える英会話を教えて
あげたいという気持が湧いてくる。
テキストを使った系統だった勉強ではなく、実際のシーンを
思い浮かべてその場で話されるだろう会話を頭の中に描く訓練を
するのがベストだと考えるのである。
実は、大学に入って、実際の英会話を見て聞いて覚えるために、
3本立ての名画劇場で1日3回繰り返し観て、頭が痛くなった
こともあった。バイトで懐が暖かくなると、ロードショー映画に
入ってシナリオを買って、休憩中にそれを読んでから、中に戻って
映画を観るということもやった。
私の父は仕事のために宣教師さんに英語を教わったと云っていた。
然し、良い先生に会うことは実際は難しい。 それは、大学時代
家庭教師をやって自分が知っている。
そこで、私はこのブログでシーンを想定し、行われる会話の
シナリオを描いてみたい。発音が問題だが、ブロークンでも
ジャパングリッシュでも構わない。それが私流英会話術という
ものである。 では、See you again。