英語のおはなし
今日は上天気ながら風強く散歩は取りやめ、我が英語人生を振り返ってみた。
「英語」については2月25日付で「英語って何語」という記事を載せたので、
その続編である。
<中学時代>
戦後直ぐ進駐軍という米軍の占領下という今から見れば変わった環境だった。
1年生の時、漢文の先生がローマ字を教えてくれた。私がアルファベットを
覚えやすいように、画用紙に文字を図案化して書き、クレヨンで色をつけて、
教室に持って行ったら、大喜びされて、それ以降大変可愛がってくれた。
3年生になり、担任が青山学院出身の紅顔の美青年の英語の先生になった。
米兵に囲まれた環境とこの英語の先生との出会いが私の人生を決めたのである。
彼は、どうやったかは知らないが、米軍将校の奥さん達を3人連れて来て、
多分、文部省の指導要綱には無かったのではと思うが、英会話の実習をやって
くれた。更に、私立女子高を目指す女子生徒に放課後の補習をやり、
男子も入っていいと云うので、私は一番後ろに座って授業を受けた。
私的には高校受験で進路を決めたのも先生だった。東京の第1学区が私の
属した学区だったが、トップは日比谷高校だった。この頃の高校入試は
全国共通のアチーブメント・テストという方法で、自校の自分の席で
答案を書いたので、精神的にはリラックスして受験できた。英語を
含まない8科目の合計800点に対し、720点以上取れたら、
日比谷高校に申し込んでもよいが、私の点数は690点位なので、
あっさり日比谷を避けて確実な二番手の九段高校に申し込み楽勝で
合格した。何故英語が試験科目に無かったのか、もし、あったら、
どうだったか、今はミステリーである。
<高校時代>
入試で英語が入ってなかったので、入学早々、英語のテストがあった。
ところが、何とAクラスではなく、Bクラスになってしまった。
これにはショックで親に頼んで、JR千駄ヶ谷駅前にあった津田塾英語
スクールの高1教室に申し込んだ。然し、これまた、驚いたことに教室は
女子生徒ばかり。恥かしくて一番後ろの席に座った。馴染めないまま、
半年位過ぎてギブアップしてしまった。
<大学受験~浪人時代>
第一志望が一ツ橋大で第二志望は東京外語大であった。数学とか物理・
化学が嫌いなのに一橋大にこだわり過ぎて、浪人期間が長引いてしまった。
東京外語大の試験科目は当時、英語が300点、国語、社会、理科、
各1科目に100点づつの合計600点という配点だった。
東大くずれとか一ツ橋くずれとか、さらに、浪人が多く受験するから
楽ではないが、数学が無いのだから、外語に的を絞ればもっと早く
受かったと後悔したが、若い時の苦労とか遠回りは長い眼で見れば損
とは言えない。暗い受験時代のなかでの唯一良い思い出は矢張り英語
がらみのことである。蛍雪時代の様な月刊の英語専門の受験雑誌があり、
巻末に通信添削問題のページがあり、毎月応募していた。外語に合格する
直前は全国二位が数回あった。その結果、入学後合格の秘訣を書いてくれと
頼まれ私の馬鹿馬鹿しい記事が掲載された。実は、良い思い出というのは、
このことではなく、常に一位を取っていた女性のことである。彼女は
佐賀県出身、結核で高校を卒業出来ず、大検(大学受験資格検定試験)
に合格して、外語の英米科に受かった。雑誌の写真で知っていたから、
入学後廊下で立ち話をしたのが、受験時代の唯一の良い思い出なのである。
<東外大時代>
何としても合格したいので競争率が低いポルトガル語科を受験して、
うまうまと入り込んだが、外語を狙ったのは総合商社で海外勤務を
したいがためであり、ポルトガル語が商売で使えるのはブラジルだけ、
且つ、日本とブラジル間の商取引はあまり期待できない、という環境では
勉強には身が入らない。そこで、英語を勉強するために、英文学の講座を
出来るだけ沢山取った。英語関係では発音学、商業用語の講座も取った。
だから、英語関係で「優」の成績カードを10枚は取った。哲学とか経済学
とか、出席率が65%以上なら「優」で単位が貰えた。就職試験にはこれで
十分な準備が出来た。
<米国生活から学んだ実用英会話>
英語と一口で言っても様々な要素がある。
先ず、会話英語(Spoken English)と文書英語(Written English)。
また、会話英語も話し手により違ってくる。分かり易いのは牧師さん
の英語(Father's English)。裁判での判事、検事、弁護士のやりとりも
明瞭で分かり易い(法律用語は別として)。テレビのアナウンサーの英語(Announcer's English)も当然だが分かり易い。大学の先生の英語
(Professor's English)も大抵は分かり易い。理由は第一にスラング
(slang)が混じらない。映画など長年見ていても半分しか分からない。
もっとも、半分分かればストーリーは分かる。西部劇、戦争もの、刑事
ものなどは判り難い。
英語はほぼ世界共通語であり、中国人やインド人は方言が多く、同国人
同士でも英語を使うらしい。英語が出来ると何処に行っても通じる。
有難いのはお互い外国語だから易しい言葉しかつかえないから分かり易い。
英国人の英語はブリティッシュ・アクセント(British accent)とか
スノビッシュ(sunobbish)とか云う発音でやや聞きずらい。
オーストラリア人の英語も<エイ>が<アイ>となるので聞きずらい。
(マンデイがマンダイとなる)。インド人は舌が長いのか巻き舌である。
問題は相手が日本人の英語に慣れてないと、意外に通じないのである。
航空機のCAでも国際線は良いが、米国内の国内線となると、「コーヒー」
が通じない。「コーク」つまり、コカコーラに聞こえるらしい。何度も
同じ目に遭い「カフェ・オレ」と言ってやったら一発で通じた。
アメリカ人が日本人の英語は小鳥のさえずりだと云っていた。
裏返すと、アクセントを強めに発音するか長めにすれば良いのである。
アメリカ人の発音を聞いているとアクセントのあるところばかりがつな
がって聞こえる。アクセントは大抵最初の母音にあるから、そこを強調
すれば通じやすくなる。それより、出来るだけ大きな声でゆっくり、
長く伸ばし目に叫べば問題ない筈。
文書英語は使われている用語が問題である。学術書や取扱い説明書などは
専門用語(technical terms)が多いから厄介である。契約書も同様。
新聞・雑誌も記者が凝り性だと見かけない言葉を誇らしげに使ってくる。
小説も似たようなもの。昔は技術用語とか科学用語の辞書を持ったが、
いまは、電子辞書はあるし、ネットで検索すれば何でもわかるから
便利である。(完)